流言蜚語ではなく、不逞半島出身者による殺人、強姦、放火、掠奪、暴行、及び、爆弾・毒薬の携帯は実際に有った。
内務省、警察、及び陸海軍は、新聞等の報道の中に不正確な部分が含まれていることを罹災の翌日である
1923年9月2日の時点で覚知していた為、同日から報道に規制を掛けた。
報道機関に事実関係を確認させたうえで約2か月後の10月20日に規制を解除したのだが、
規制解除後のウラ取りをした報道が上述のとおり半島出身者の悪逆非道を報じるものであった。
剰え、1,000人以上にまで膨れ上がった半島出身者愚連隊と陸軍麻布第三連隊歩兵三個中隊等が、
王子・横浜で戦闘状態に入り、 なかなか鎮圧できない為、
被災地域外の越後高田第十三連隊にも出動命令が出た。
クソ左翼は、無辜の半島出身者を日本人が虐殺したと手前勝手な嘘を並べるが、
左翼こそが過去を直視しなければならない。殺されても文句を言えないことを半島人はやったのだ。