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【★涙・涙の『集団就職』の昭和史! 】

 「あの有名企業:"NイーC" の玉川事業所(川崎市中丸子、最寄駅:平間駅)でも、戦後、東北地方の各県から毎年、数100人以上の中卒の女子(15歳)の『集団就職』を受け入れていた!》

 1959年(昭和34年)時点で、彼女たちは、玉川事業所の工場で『トランジスターの組み立て業務に "2交替制" で従事した!』(←★)
 →また、彼女たちが居住していたのは、『(工場近くに建てられた)同社の女子寮!』
 →合計600人が収容されていた!
 →この女子寮は、(a)『5階建ての鉄筋造りの寮』が1つ、(b)『2階建ての木造の寮』が3つ があった! (←★)

 →《彼女たちは、頻繁に全員で夜泣きながら、働き続けていた!》 」

<出典> "『舎監』せんせい―集団就職の少女たちと私―" (著者:鈴木政子氏、本の泉社(2015年))