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室町幕府第8代将軍足利義政の甥で1490年第10代将軍に就任した
足利義材(義尹)は1493年明応の政変により将軍職から追われ
幽閉されたが脱出し越中国守護家畠山政長の家臣で放生津城の
神保長誠を頼り守山城でなく射水郡放生津に下向したため
越中公方(越中御所)と呼ばれた。
その後1498年越中公方足利義尹は放生津から越前国の朝倉貞景の許へ
移り1499年政長の子尚順と同調し上洛を試みたが近江国で六角高頼に
敗れ周防国守護大内義興の許へ逃れた。この上洛勢に神保氏も従軍。
なお射水・婦負郡及び紀伊分郡守護代だった神保長誠は1501年に死去。