昭和20、30年代生れの門司っ子、昔の話を聞かせんね [無断転載禁止]©2ch.net
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四十年勤め上げた會社を退職し、
何やら張り合いの無い日々を送る内、
大學生の孫に「退屈しのぎに遣って見たまへ」
と勸められた弐チヤンネル。
當初は「こんな電腦掲示板、何たる幼稚加減」と
莫迦にしてゐたものの、遣つて見ると存外に面白ひ。
罫線と記号とを組み合わせて描出した
若き乙女の図繪に「ゆとり乙」と何度と無く罵られるにつけ、
食ふや食はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自ずと思ひ返され、
「戰爭さえ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」と獨りごちることも屡々。
すつかり虜となつた今では、孫の部屋から
漆黒色の電腦計算機をせしめては書齋に篭もり
存分に「祭り」を堪能する毎日を送つている。
「薔薇乙女乱痴気騷亂」なる祭りスレツドを拜讀した際には、
その餘りに理不盡な經緯に憤慨し、
臺所で葱を刻む家内に「かような暴擧が許されていいものか!」
と熱辯を振るって呆れられる始末。
年甲斐もない、とはこのことと後で赤面することしきり。
同年代の友人達が癡呆や重い病に惱まされるなか、
かように老いて尚矍鑠としてオフ會に向かえるのも、
ひとえに弐チヤンネルのおかげかと思えば、
再三に渡る「半年ROMつてろ」の罵り文句も、
何やら「まだまだ死ぬには早いよ」と言われているようで愉快極まりない。
ひとつ間違えれば自らが乗り込んでいた機體と同じ名前を持つ
コテハンに出會える日を樂しみにしつつ、今日もデスプレヱに向かう。
弐ゲツト >>2
表記がなつてゐない
もう一度書き直し
張り合い→張り合ひ
*孫が祖父に「やつて見たまへ」は無い
弐チヤンネル→二チヤンネル (二は立派な正字 他の字に替へる必要なし)
電脳→電子計算機、電子頭脳 (電脳は中國語 日本では使つた事がなかつた)
幼稚加減→幼稚さ加減
面白ひ→面白い
図繪→ 図は略字 正字は圖
自ず→自づ
戰争さえ→戰争さへ
漆黒→漆K
電脳計算機→電子計算機
篭もり→籠り
送つている→送つてゐる
乱痴気→亂痴氣
かような→かやうな
いいものか! *吃驚マークは英語表記用 日本語表記では使用しない
振るって→振つて
かように→かやうに
向かえる→向かへる
弐→二
思えば→思へば
言われているようで→言はれてゐるやうで
間違えれば→間違へれば
乗り込んでいた→乗り込んでゐた
出會える→出會へる
向かう→向かふ
弐→二 早鞆中学出身なんだけど、何度か昼休みに学校を抜け出してキヨミ食堂でちゃんらー食べたなあ。
大盛で安くてうまかった。あと、食通の食堂「ナポレオン」も思い出深い。 15-20年前ナポレオン食堂(跡)が取り壊されそうなビルの地階?にあるのを外の窓越しというか窓枠越しにみたことがある
平民食堂もおわっていたがもう少し早く来れば間に合ったのかも 子供のころ季節は春ごろだったと思うが、あちこちのお寺の参道や、小さなお堂で、
お婆さんたちが「おせったい」っていう行事をしていた。五円玉とか一円玉を渡すとお菓子を一杯くれた。
年寄りが用意しているお菓子だから、生姜やお茶風味のせんべいとか、地味なやつばかりだったけど楽しかったなあ。 >>6
平民食堂はつぶれる一年ほど前に行ったんだけど、店に入ってすぐに、入ったことを後悔するほど
強烈な、かび臭さに襲われた。壁には昔のビールのポスターなんか貼ってあって、椅子やテーブルも年代を感じさせる古さがあって
店主はおそらく、あの、古い倉庫の中にいるような、かび臭さもレトロだと信じていたのかもしれない。その時はハンバーグを注文したが、
カビの臭いしか記憶に残っていない。接客は悪くはなかったがひどく陰気だった。
ナポレオン食堂に行ったのは四十年ほど昔。しーんとした裏通りのビルの小さな入り口に「ナポレオン」っていう小さな看板がかけてあるだけで、
知らない人はそれを頼りに暗い通路を奥へ進んで行く勇気はないかもしれない。不安が大きくなったころに、突然、異次元のような空間が現れる。
そのときはカレーを食べたんだけど味は印象に残っていない。安くてそれなりの味だったような気がする。そのうちにまた行こうと思っていると
時代が変わって、あの辺りはレトロ一色になってしまっていた。
申し訳ありませんが私は門司っ子ではありません。よそものです。
たのだけど、
それは見た目だけで、食堂というより古い倉庫に入ったようなかび臭さが 子どもの頃、めかり公園のノーフォーク広場あたりで、菊人形をやっていたのですが
一緒に、少女歌劇もありました。なんという歌劇団だったかご存知の方いらっしゃいませんか。 まだ卑弥呼が沢山生きていてそこらへんを闊歩していたものだが今では一匹も見かけなくなったとじいちゃんが言っていた。 親が、そのじいちゃんから聞いた話だと、夕涼みにふんどし一枚で歩いていたら、突然
ふんどしにしがみついてきて三年ばかり天井のすみに居ついていたらしい。喜多久の方だよ。 >>10
てっきり宝塚だと思ってた。助六たべながら観たのをおぼえてる。 43年前の夕方、柳町の裏手の路地を戸の上神社の方へひょいひょい歩いて行くのを見たが、ばあちゃんがおれの手を引っ張って
知らん顔せと言うた。そのとき近くの家から大橋巨泉の笑い声が聞こえよった。 若戸大橋でしんでいるのが見つかったのが最後らしいね。 意味不明の話はやめましょう。昔の門司の話を聞かせてください。 50年ほど前に、中央市場にあったお好み焼き屋の鉄板に
ゲロを吐いたのはワタクシですが、何か?w もんじゃ焼きなったわけだ。
しかし、50年前には一銭洋食はよく食ってたけど、お好み焼きはまだ知らなかったなあ。 35年くらい前だけど味園庵て食堂のカツ丼は美味かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています