1945年7月16日だけで大分市の空襲はB29 127機、M47A2焼夷弾22,922発に及ぶ
別府市には一発も落とさず

1945年(昭和20年)3月18日の初空襲から終戦までの間に、大分市への空襲は22回に及び、計749発の投下爆弾や約9,500発の焼夷弾によって大分市の中心市街地は壊滅的被害を受けた。また、人的被害は、死者177人、負傷者270人にのぼった。
1945年(昭和20年)7月16日は、午前中に空襲警報が出されたが、この警報は間もなく解除されている。その後、午後9時すぎに警戒警報が発令された。

第21爆撃軍団の報告書によると、先導機として先行した10機のB-29が17日0時12分から爆撃を開始し、それに続く本隊の117機のB-29が0時22分から1時32分にかけての約1時間10分の間に、M47A2焼夷弾22,922発を大分市街地中心部に投下した。

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