韓国国内で出版された「気候の力」(原題)の著者であるソウル大学地理学科のパク・ジョンジェ教授が、「日本の弥生文化を築いたのが韓半島(朝鮮半島)から渡来した気候難民」と主張していることを韓国メディア・中央日報が報じ、大きな反響を呼んでいる。

同紙によると、「気候の力」は気候と歴史を組み合わせる試みで、韓国内の研究結果に基づいて気候変化が韓国史に及ぼした影響に迫った内容だという。高麗の滅亡や17世紀の大規模飢謹などの事件を自身の研究データに基づいて気候変化と関連させて説明している。

パク教授は同紙の取材に対し、「突然の気候変化の衝撃で韓半島の農耕民が南に移住し、その一部は日本に渡って行ったという仮説だ。3000年前、錦江の中・下流に松菊里文化があった。青銅器時代に米作りをしていた人々だ。ところが2800〜2700年前、韓半島にひどい干ばつが発生した。この時期に堆積した花粉の中で木の花粉の比率が顕著に低いが、これは干ばつで木の花粉の生産性が非常に良くなかったことを意味している。興味深いのは、この時期に住居地の数も大幅に減少した点だ。稲作ができそうなところを探してさまよっていたということだ。その後、松菊里文化は韓半島南部を経て日本に渡って行ったと考えられる」と持論を展開した。

そして、「稲作は温暖で湿潤な九州地域のほうがずっとやりやすかったはずだ。弥生文化は2500〜3000年に始まったといわれているが、時期的にも合致する。私がこの時期の気候問題に対する論文を19年に出したが、偶然に中国でも3カ月後に同じような論文が発表された」と続けた。

この報道に対し、日本のSNS、ネット上で「物理的な問題として、本流になるレベルの人数で日本海を渡ることが出来るのか?漢や魏が日本に来ているから、国家レベルの造船技術や航海技術があれば話は分るがけど、難民にそれができたのかどうか…何かしらの国家プロジェクトが絡んでいればまだ説得力があるけど」、「仮説なら何とでも言えるけど、日本語っていう文化は日本人によるもの。移民が大勢いたなら言語にその痕跡が残っているはず。中国との交易は確認されて記録も残っている、天皇が最初に国として中国に宣言したから日本は国家になったとの記録があるから。文化も中国由来だと思う」など反論の声が多い。

「パク教授の論理は飛躍しているように感じる。そもそも、弥生文化の始まりは紀元前10世紀〜7世紀という見方が多く、稲は中国の南部から来たことがDNAで証明され、朝鮮半島にはない品種です。むしろ日本で普及した稲作が朝鮮半島に伝わったという見方の方が歴史学者の間では多い」(世界史の雑誌編集者)

弥生文化は「朝鮮半島が由来」と主張するには、根拠が弱いと感じる人の方が多いのではないだろうか。

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