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前衆議院議員、立憲民主党元副代表の辻元清美氏(撮影:松本創)

衆院選から1カ月余り。自民党に絶対安定多数を許し、近畿を中心に日本維新の会に席巻された立憲民主党は泉健太氏を新代表に選び、立て直しを図る。落選していなければ確実に有力候補になっていたであろうこの人は今、どんな心境だろうか。元副代表の辻元清美氏(61)。選挙の約2週間後に語っていた敗因総括と大阪における維新の強さ、そして自身とリベラル勢力の今後とは。

国民感覚とずれていた「野党第一党病」
「選挙区で負けたのは維新の力。比例で復活できなかったのは『野党第一党病』にかかっていたこと」。インタビューの冒頭、辻元清美氏は自らの敗因を端的に総括した。衆院選から約2週間後の11月15日、大阪府高槻市内の事務所。「今日刷り上がったばかり。これが第1号です」と手渡された名刺には、衆議院議員、立憲民主党副代表、同党大阪府連合代表などの肩書がすべてなくなり、名前だけが書かれていた。大阪における維新の強さは後述するとして、まず「野党第一党病」とは何か。

「一つは国民感覚とのずれ。多くの国民はすぐに政権交代ができるとは思っていなかった。望んでいたのは、圧倒的多数の自公政権から与野党伯仲の国会に持っていって、緊張感ある健全な議論ができる政治にしてほしいということだったと思うんですね。しかし立憲民主党は野党第一党であり、私は副代表という立場。政権交代の受け皿になると言わなきゃいけないという気負いがあった。それが有権者から見れば『何言うてんねん』と鼻白み、現実味を感じられなかったんじゃないかと。

もう一つは、新型コロナ禍というパンデミックを体験した人びとの意識や社会構造の変化を捉えきれなかったこと。私たちの掲げる、多様性を大事にしてパブリックの役割を守るというリベラルな考え方は、分厚い中間層がいたときには支持されやすかったのですが、コロナで格差が拡大し、不安や不公平感が広がる中で、それとは逆の維新的な主張──既得権益を指差し、『この人たちは敵だ』と憎悪に近い対立を煽る政治が支持される土壌が生まれているのを感じます。

維新は大阪の(19選挙区中、候補者を擁立した)15選挙区をすべて取り、比例近畿ブロックでは大阪と兵庫で自民党を上回るトップ、他の4府県では自民党に次ぐ2位。全国で計805万票を取り、北海道以外の全ブロックで議席を獲得した。コロナ後の社会に維新という勢力が入り込み、今後も伸びていく可能性があると私は危機感を持っています。

大阪で維新がやってきたのは、公務員バッシングや既得権益攻撃で支持を広げ、『二重行政だ』と病院を潰し検査機関を統廃合した結果、変異株に対応できず多数の死者が出たとも言われる政治です。コロナで公的なことを大事にしようという方向に本来は向かわなきゃいけないのに、逆の方向へと政治が加速し、それに拍手喝采する人たちが増えているように見えます」

立憲民主党が自公批判票の受け皿になれなかった理由
立憲民主党が自公批判票の受け皿になりきれなかった理由の一つに、近年よく言われる「野党は反対ばかり」というイメージや不信感があるかもしれない。今回維新の顔となった吉村洋文・大阪府知事は盛んにこれを言い、辻元氏の地元、大阪10区の街頭では「以前は立憲・辻元支持だったが、反対ばかりだから維新に変えた」という声を筆者も実際に聞いた。

それを意識したのだろう、辻元氏は選挙戦で「国対委員長として81%の法案に賛成し成立させた」と実績や調整力を訴え、終盤には自社さ政権時代から信頼関係を築く山崎拓・元自民党副総裁の応援を受けた。山崎氏の応援は波紋を広げたわりに不発に終わったが、ウイングの広さを示し、「反対一辺倒ではない」と強調する狙いがあった。

「私は総理や与党を厳しく追及してきましたが、それだけじゃない。たとえば安保法制で激しく議論した中谷元・元防衛大臣とはNPO議連で一緒に共同代表を務めていますし、コロナ対策では与野党の協議会で相当細かく詰めて、いろんな政策を実現した。本来の立法府とはそういうもの。対立することもあるけど、『良いことは党を超え賛成。おかしなことには立ち向かう』(辻元氏が選挙で掲げたキャッチフレーズ)です。大阪で医療が逼迫し看護師が足りなくなったときも、私たち立憲が委員会などで質問・提案して派遣に道筋をつけたんです。