<偽の名前、偽のパスポート。空港の保安エリアを抜け、堂々と国際線に乗務していた>

米ユナイテッド航空のウィリアム・エリクソン・ラッドは、乗務経験20年超のベテラン客室乗務員だ。アメリカと南米方面を結ぶ路線に主に乗務し、キャビンでの業務に長年従事してきた。

しかしラッドには、乗客はおろか雇用主のユナイテッドすら知らない秘密があった。胸元に光るネームタグに刻まれたそのアメリカ人名は、43年前に自動車事故で死亡したまったく別人のものだったのだ。ユナイテッドが把握していた経歴も、パスポートの氏名も、来歴のすべてが虚偽であった。

キャビンアテンダントの正体は、ブラジルで生まれ育った49歳の男性だ。実の名をリカルド・シーザー・ゲデスという。死亡したアメリカ人少年の人生を乗っ取ることで渡米を果たし、過去23年にわたりキャビンで笑顔を振りまいてきた。

そのキャリアはあっけなく幕引きを迎えることとなる。舞台となったのは、米テキサス州に位置するヒューストン空港だ。全米9位の規模を誇る巨大なハブ空港であり、ユナイテッドはここを国内南部の拠点と位置づけ、南米へのゲートウェイ空港としても活用している。

昨年9月、ラッドことゲデス容疑者は、検査が簡素化された乗務員専用レーンを通じて空港の保安エリアに入ったのち、身柄を拘束された。偽装された身分証を使用してセキュリティエリアに侵入した嫌疑がかけられている。身柄は最終的に捜査当局へ引き渡された。

現在は裁判のため勾留されており、パスポートの不正申請、身分証の盗用、アメリカ市民へのなりすまし、空港セキュリティエリアへの不正侵入といった嫌疑が掛けられている。

交通事故で他界した少年
では、本物のラッドとは一体誰なのか? いまから43年前の1979年、ワシントン州の田舎町で交通事故が発生し、当時5歳になる目前だった米国人少年が死亡している。この少年こそが、ゲデス容疑者が成りすましに利用したウィリアム・エリクソン・ラッドだ。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、ゲデス容疑者は渡米を企てるにあたり、ラッド少年の出生記録に目をつけたという。少年の死亡からすでに17年が経った1996年、ゲデス容疑者は米市民であるラッドを騙ることで、アメリカの社会保障番号を取得した。

さらにこれを身分証として利用することで、2年後の1998年には米国パスポートの取得に成功している。 米NBCニュースによるとそれ以来、2020年までの22年間にわたり、少年名義でパスポートを幾度となく更新していたようだ。

しかし、ゲデス容疑者が最後に更新に赴いた2020年12月、米国務省は複数の評価指標に基づき、ラッド名義のパスポートに詐称行為の疑いがあることを検出する。そこで国務省は保安システムにおいて、当該のパスポートに対し、警告のための識別情報を付与した。捜査当局の特別捜査官による捜査を経て昨年9月、空港セキュリティエリアに入った同容疑者は身柄を拘束されることになる。

ブラジル籍男性と指紋が一致
ゲデス容疑者本人はアメリカ生まれだと主張しているが、捜査当局は訴状のなかで、ブラジルのサンパウロで誕生したと指摘している。米税関・国境警備局の技術チームはユナイテッドの協力を得て、本人が身元調査の一環として事前に社に提出していた指紋を入手した。これをブラジルの身分証用として90年代にゲデス名で提出されていた指紋と照合したところ、両者は一致したという。

ユナイテッドは声明を通じ、すでに同容疑者を解雇したと発表した。 米アトランタ・ジャーナル・コンスティテューション紙は、勤続23年のベテラン・キャビンアテンダントであったと報じている。乗務便のおよそ半数はブラジル行きとなっており、他にも南米方面としてエクアドル、ペルー、チリ便に搭乗していた。ヨーロッパ方面ではオランダ便への乗務経験も記録されている。

容疑者のアメリカでの生活は、相応に充実していた模様だ。地元紙 ヒューストン・クロニクルは、ゲデス容疑者は妻と結ばれ、美麗なヒューストン湖の湖畔に一軒家をもち、愛車はBMWであったと報じている。キャビンアテンダントのキャリアと併せ成功者として生きる反面、勤務先への登録名も住宅ローンを組むにも幼くして他界したラッド少年の名を借りるという、偽りの半生であった。

逮捕後ゲデス容疑者は、捜査員にこう洩らしたという。「夢をみていたが、終わってしまった。今は現実と向き合わなければならない。」

青葉やまと

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/01/23ca43.php