経歴は「奴隷」「持ち逃げ・詐欺被害者」!?
世界の歴史を紐解いてみても、「奴隷の身分からその国の最高権力者へ」成り上がった人というのは、たぶんそうはいないでしょう。

実は、そんな人が日本にいたのです。戦前の人ですが、あの高橋是清(たかはし・これきよ)は、アメリカでの奴隷生活から日本国首相に駆け上がった立志伝中の人物なのです。彼の人生を振り返ってみましょう。

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高橋是清(Wikipediaより)

前半生のエピソードで最も強烈なのが、アメリカ留学中に「奴隷」となったことです。

高橋は13歳で留学したのですが、留学先での待遇が次第に悪くなっていったため、新たな家主のところに住むための契約書にサインしたのですが、それが実は「奴隷契約」だったのです。

契約書の内容を理解することができなかったため、高橋は窮地に陥ります。しかし、幸いにして彼の里親にあたる高橋家が、奴隷契約の破棄のために力を尽くしてくれたのでした。

ただ彼の人生も浮き沈みがのスケールが激しく、その後もいろいろなことがありました。例えば芸者遊びが過ぎて大学を辞職したこともありますし、詐欺被害に遭ったこともあります。

その詐欺の内容というのが、またスケールが大きいのです。畜産事業を始めてみたら友人に金を持ち逃げされたとか、銀相場詐欺に引っかかって無一文になったとか、ペルーで銀山経営詐欺に遭って無職の無一文になった、という具合です。

日本を救った男
このように高橋は、その人生全体において多くの逆境にぶつかっていますが、どれもめげることなく乗り越えています。「七転び八起き」「転んでもただでは起きない」高橋の人生は、よくそんな言葉で表現されます。

人に騙されやすく、なんとも浮き沈みの激しい人生です。しかし金を持ち逃げされても、また無一文になっても、その有能さゆえに人望もあり職に困ることもなく、彼はなんと日銀副総裁にまで上り詰めました。

そして後半生では、この日銀でのキャリアを起点にして、昭和の日本経済をリードする存在となっていきます。

彼の功績で大きなものとしては、日露戦争時に外債募集を成功させて約20億円の戦費を調達したこと、昭和金融恐慌を48日で沈静化させたこと、そして世界恐慌のさなかに世界最速でデフレ脱却を果たしたことの3つが挙げられます。

この3つの経歴だけを見ても、高橋の生きた時代がいかに激動の時期だったかが分かりますね。そして彼の功績もまた、非常にスケールの大きいものばかりです。ひと言で言えば、彼は3度も「日本を救った」と言っても過言ではないでしょう。

特に日露戦争の戦費調達については、当時は世界中から「日本が負ける」思われていたため、諸外国にとっては日本の国債を買うなど危険極まりないことでした。それでも高橋が粘り強く交渉したおかげで、資金を調達することに成功したのです。

その結果、日露戦争は日本にとって有利な形で講和を迎えたのでした。