「これは絶対に政治の世界に戻るね」――。辻元清美さんのインタビューを終え、彼女を見送ったあと私は真っ先に編集者にこう言った。2021年の年末、彼女が落選後、初めて出演したテレビ番組で共演した際に「人生を考え直したい」と吐露した時には、もしや政界引退もあり得るのかなと思ったが……。

しばしの充電期間を終え、2022年初頭に取材に応じた辻元さんは力を取り戻したように見えた。大阪であまりに強い維新の力、アートとしての「妥協」、そして政界への思い……。今夏の参院選、一躍注目候補に躍り出た辻元さんが思うこと。

やり残した思い
変化は服装に宿る。国会議員時代のスーツではなく、きれいな刺繍を施した白いシャツにパンツを合わせたカジュアルなスタイルであらわれた。

《国会議員みたいな黒っぽいスーツは真っ先に捨てたよ。今の私は自由なんや》

フォトグラファーの求めに応じて、ポーズをとりながら、まるで政治の世界に一切の未練はないかのように振る舞う。

だが、口を開くと一転、言葉の端々にやり残した思いが滲み出た。

《橋本政権の時に、私は政治家になってずっと作りたいと言ってきたNPO法を制定しました(1998年)。それで全国各地にNPOが誕生して、社会の重要な役割を担っている。政治家としてやりたいといったことを実現できた。今回の落選で、政治家人生はもうそれで十分かなと。永田町の外に出てもいいじゃないかと思ったんです。

秘書の給与問題を起こして、私、一度政界を追われているでしょ(2002年)。その時、助けてくれたのが亡くなった瀬戸内寂聴さんだったんでした。身も心もボロボロになった私に寂聴さんは「自分の傷を癒したければ、人を癒しなさい」って言ってくださった。そのときの私はお金もなかったから、寂聴さんからお金もいただいて介護の資格を取るために学校に通ったんです。

今回も落選から一息ついて、さぁどうしようってときに寂聴さんの言葉を思い出して、大阪・西成の介護施設のボランティアに行ったんですよ。でも、そこで政治の煩悩が出てくるんですよね。

私、国会中継みて、ツッコミ入れてるんですね。今の質問、甘いやろって。政治の動きが気になってしまう私がいる。》

介護施設で出会ったのは、自分は都市の片隅で亡くなるのを待っていたという人々である。

元調理師の男性は、「このまま身寄りも行き場もない、自分は死ぬだけと思っていた」と言った。自分の身を救ってくれるような制度があっても、そうした制度を活用するために自らコミュニケーションを取れないままの人もいる。現実の入所者は「最後はいったいどうなるのか」という不安を抱えていた。

落選後に事務所にやってきた若い女性は、奨学金の返済に苦しんでいると語り始めた。新型コロナ禍で正規の仕事が見つからず、誰に相談していいかわからないからやってきた、と彼女は言った。現実の世界には、声を上げられずに生きる人々がいる。

SNSと政治
《リアルが一番、大切ですよ。

でも、今は野党だけでなく、政治全体がツイッターでどれだけ拡散したかを気にするようになってしまったと思う。私もSNSを一つのツールとして始めたけど、やっぱりツイッターなら、140字でどう人に印象付けるかばかりを気にかけるようになってしまう。

私は、政治家として、ずっと路上演説だけがいいと言ってきたんです。感覚としては、ライブ中心のアーティストみたいなものだと思う。辻立ちをすると、選挙区の人々の生活の息遣いが感じられる。

駅で辻立ちをして、街ゆく人の顔をみると、自分の政治姿勢や感覚が整っていく。それはSNSでは味わえないものですよね。駅に立ち続けないと政治家は堕落すると思っています。》

本当なら、街ゆく人の姿を見て、ときにコミュニケーションを図り、社会の空気を肌で感じなければ、選挙の戦略も立てられない。それなのに、「立憲は野党第一党病だった」と続ける。

《「政権交代」を強調しすぎましたよね。今、国民で誰が政権交代を望んでいたのか、本当に政権を任されると思っていたのか。もっと与野党の力が縮まって、建設的な議論ができる国会は望まれていたかもしれないけれど、拙速に政権交代を強調し、「政権発足後、初閣議で直ちに決定する事項」を発表までしていた。

実際に自公政権に勝てるだけの準備を選挙区でやってきた人材はどれだけいたのか。香川1区の小川淳也さんはできていて、実際に勝ちましたね。でも、私も含めて他の議員はどうか。結果は出ていない。

それなのに政権交代と口にした立憲は、有権者に傲慢だと思われたかもしれないですよね。》