1957年12月、韓国に抑留されていた約900人の日本人が、ようやく帰還した。
この時に日本政府は、韓国国内にあった日本人の資本や財産の請求権放棄など、不利な条件に応じたという。

そして、早急な解決が難しかった竹島問題は、ほかの懸案解決に影響しないよう、日韓交渉の議題から外さざるを得なくなる。

島根県竹島問題研究顧問・藤井賢二さん:
良い漁場で日本の漁船が拿捕されて、日本政府はそちらに手いっぱいになっていく。竹島についての手が行き届かなくなる、そんな仕組み(状況)があったと思う

日韓基本条約の締結が優先される中で、竹島問題は棚上げにされた経緯があった。
同時に発効した日韓漁業協定により、「李承晩ライン」は事実上消滅したが、竹島が不法に占拠されたまま今に至る。

竹島の領有権が棚上げされたあおりで、1970年代後半以降、日本海では漁業権争いが激しくなり、日韓双方の漁船の拿捕も相次いだ。

根拠の乏しい隣国の主張と実力行使に翻弄(ほんろう)され、さまざまな妥協を強いられた戦後の日本。
節目の年にその歴史が、あらためてクローズアップされている。

(TSKさんいん中央テレビ)

https://www.fnn.jp/articles/TSK/320885