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 最近、診察室で定期診察のあと、ため息をつく人が目立つ。ある人が言った。
「先生、ウクライナはどうなるのでしょう。恐ろしいです。向こうで結婚した日本人男性のブログを読んでいるのですが、幸せだった生活があっという間に破壊されていくのが手に取るようにわかって。それから毎晩、悪夢を見るんです」
 また別の人はこう語って涙ぐんだ。
「子育て中のママたちでSNSグループを作ってるんです。ふだんは楽しい話をしているのですが、そこにもウクライナで地下シェルターに避難している子どもたちのニュース映像が流れてきて。病気の子、親とはぐれた子もいるのだそうです。もしわが子だったら、と思うと涙が止まらなくなりました」

 何らかのメンタル不調で診察室に通っているわけではなくても、似たような状況に陥っている人は少なくないのではないか。友人や知人からも「よく眠れない」「食欲が落ちている」と訴える声が聞こえてくる。
 ウクライナは、日本から決して「近い国」ではない。距離にして8000キロ以上も離れており、首都キエフはじめ、日本から飛行機の直行便はなく、トルコやUAE、あるいはポーランドなどで乗り継がなければならない。移動はほぼ1日がかりとなるだろう。コロナウイルス感染症のパンデミック前、2018年の統計では、日本からウクライナへの旅行者は年間1万人強だ。日本からアメリカへの年間旅行者約350万人、韓国への約300万人と比較するとその少なさがわかるはずだ(※1:日本政府観光局〈JNTO〉「各国・地域別 日本人訪問者数[日本から各国・地域への到着者数](2015年〜2019年)」)。ちなみに同年、ウクライナからは8500人弱が日本を訪れていた(※2:JNTOウェブサイト「日本の観光統計データ」より)。
 このように、ウクライナはこれまで日本人にとっては「なじみのある国」ではなかったはずだ。それにもかかわらず、いま多くの人がそこでの状況に胸を痛め、中には心やからだの不調にまで陥っている人さえいる。この人たちに起きていることは何なのだろうか。ここで整理してみたい。

@PTSD(心的トラウマ後ストレス後遺症)なのか

 心的トラウマの問題、とくに災害や事件に巻き込まれた人の心のケアに取り組む「日本トラウマティック・ストレス学会」は、2022年3月4日、会長名で「ウクライナへの軍事侵攻についての日本トラウマティック・ストレス学会からの声明」を出した(https://www.jstss.org/docs/2022030400016/)。それに付随する資料「惨事報道の視聴とメンタルヘルス」にはこうある。

「人為災害時における惨事報道については、視聴者のメンタルヘルスに悪影響を与えうることが指摘されています。2001 年のアメリカ同時多発テロ、2011 年のノルウェー連続テロ事件、2013 年のボストンマラソン爆破事件などの人為災害では、被害者・子ども・一般人を対象とした研究結果が多数報告されています」

 そして、「惨事報道の刺激は必要最小限にしましょう」「同じ内容の惨事報道を繰り返し見ないようにしましょう」「衝撃的な映像の視聴を避けましょう」といった具体的な留意点も示されている。

 では、ロシアによるウクライナ侵攻の報道やSNSの情報を目にして起きる不調は、トラウマによるPTSDなのだろうか。実はそうとは断言できない。
「心的トラウマ後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder:PTSD)」は、@再体験症状(フラッシュバック、悪夢)、A回避・精神麻痺症状(思い出すのを避ける、自然な感情が麻痺する)、B過覚醒症状(不眠、イライラ、過剰な警戒心)の3つの症状の持続を特徴とするメンタル不全である。
 現在、世界で最も多く使用されている診断基準であるDSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)によれば、このPTSDの大前提になっているのは「実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事への曝露」だ。これには誰も異論がないと思うが、問題となるのはその「曝露の形(仕方)」である。DSM-5では、それは「直接の体験」「他人に起こった出来事の直接の目撃」「近親者または親しい友人に起こった出来事の伝聞」、そして「その出来事の強い不快感をいだく細部への繰り返しまたは極端な曝露」の4つのどれかと定められている。

つづき
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