https://futabanet.ismcdn.jp/mwimgs/6/a/750wm/img_6ae4685f2181a2600de54b186e29b171278379.jpg

2017年末、イラン全土で巻き起こった反政府デモに巻き込まれ、さんざんな目にあった僕は、混乱を避けるために地方都市へと移動した。やってきたサナンダジュはクルド人たちの住む街だった。

立て続けに誰かが話しかけてくる街
 クルドの民はアグレッシブな人々であった。

 バザールや道端でいきなり声をかけてきては「オレの写真を撮るんだ」と迫ってくるおじさんに、これまで何人会っただろうか。一眼レフをブラ下げて歩いていると、ほぼ確実に撮影を求められた。その写真を送ってくれと求めるわけでもないし、彼らだってスマホは持っている。それでも僕の歩くところ撮影会となるのは、外国人なんかめったに来ないというクルド人地区サナンダジュの人々のサービス精神なんだろうか。

 ある日は博物館と歴史の古いモスクに行こうと宿を出たところ、20代半ばくらいの若いアニキに呼び止められた。珍しく英語がわかるようだ。

「もしかして、日本人かい!?」

 そうだと答えたときの彼の喜びようは、おおげさではなく飛び上がらんばかりであったのだ。

「日本は最高だよ! 家の電化製品はみんな日本製さ。日本のアニメもよく見てる。それにアメリカとガチでやった国だもんな」

 いずれもアジアをふらふらしているライターもどきには関係のない話なのだが、ほめられるのはやっぱり嬉しい。日本すごい=俺すごい。だいぶ歳の離れた若者に敬われるのは気分が良いものである。だが、彼の熱意は異様であった。

「博物館? そんなのつまんないよ。いまから家に行こう。家族を紹介するよ。母ちゃんが昼飯つくってくれるから。それと夜はどこかレストランに家族と一緒に行こう。明日は車でドライブがいいな……」

 待て、ちょっと待て。落ち着け。キミは僕の家族ではないのだよ。ご歓待はうれしいが、コミュ障でセンシティブな日本人はあんまりベッタリされると気疲れしてしまうのだ。やんわり断るが彼はあきらめなかった。

「インスタはやってる? WhatsAppは? IDはどっちも****だから検索して。時間があるときでいいから飯に行こう」

 会って5分の外国人を、どうしてここまで全面的に信じて家にまで招待しようとするのか。イスラムの教えのひとつには旅人を歓待せよというものもあるが、それにしたってクルド人は、全力でハグせんばかりの迫力に満ちていた。

クルドは独立すべきなのか?
 こうしてナンパしてきた男たちの誘いに僕は何度か乗ってお茶をした。イランではバザールでもどこでも紅茶とシーシャを楽しめるチャイハネがあるし、路上にも屋台の茶店をよく見かける。紅茶には棒状をした飴のような砂糖が添えられてくるが、これはサフランで黄色く着色されていてなかなかきれいだ。この砂糖を熱い紅茶に差し入れて少しずつ溶かしながらちびちび飲むと、街歩きの疲れも溶けていくようだった。

 このときのデートの相手は、サナンダジュ近郊にあるエタノールの工場に勤めているというアラム君。例によって日本での職業、住所、連絡先、家族構成、イランでの訪問先などなどひと通りの事情聴取を受けたあと、水を向けてみた。

「クルドは独立すべきだと思う?」

 厳しい統制国家イランにあって禁断のクエスチョンのような気もした。「国を持たない世界最大の民族集団」である彼らは、イランでもイラクでもトルコでも、迫害を受けているという。当然どの国もクルド独立を認めてはいない。

 饒舌だったアラム君は一瞬、詰まったあと、

「独立したらすばらしいとは思うけど、別に望んではいないよ。国は違うけど、いまは国境を越えて簡単に行き来できる。この前、僕もイラクのクルド人自治区に遊びに行ったよ。アルビルはここと違って発展してる街で驚いたね」

 なんて言うが、本心ではないような気がした。社交辞令のように思えた。イランでは政治的な発言には注意が必要だ。どこで秘密警察が見ているかわからない。相手が外国人でも建前しか言えない。その抑圧、息苦しさが、先の反政府デモの一因なのだろう。