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人生とは、ドッキングと切り離しのくり返しである

こんな格言を残した者はまだ、知らない。

が、しかし、人はやたらドッキングと切り離し現場に興味津々なことだけは確か。

それを性交と、終った時のあの何とも気だるい感情をイメージするからだと僕は思うわけで。

「ドッキングが始まった!」

と、駅のホームに響き渡る声を聞き、僕も思わず駆け寄った。

もう既に現場は老若男女の人だかり。みな、スマホを手にそのドッキングを撮りまくってた。

中には「これはなかなか見られないよ」と、知り合いだろうか隣に立つ人に撮影を奨めている者もいる。

いや、僕は鉄道ファンでもないけど、それが東京駅でよく行われていることは知ってる。実はスマホが誕生する前から、自前のカメラで何度も現場を押さえてた。

問題なのは、なのにまた思わず駆け寄ったかである。人として、いや生き物として、やはりドッキングは一番、気になっているからに違いない。

キャップをかぶった子供が「合体だ!合体だ!」と、騒ぎ出した。ロボ的に言っているのだろうが、この表現はまわりの大人たちに少なからず後ろメタファーを与えていることは間違いない。お母さんらしき声が「ドッキングね」と、訂正を促した。その子供もいずれ、合体している電車名が『はやて』と『こまち』であることの意味深さに気付き、後ろメタファーを覚えるのだろう。

ドッキングは生き物として子孫繁栄をもたらす祝うべき行事でもある。よほど感動したのだろう拍手をする者もいた。

しかし、この先、はやてとこまちは切り離される。その現場にさほど人が集まらないのは、好き好んであの何とも気だるい感情を味わいたくないからだと僕は思う。

■みうら・じゅん 1958年2月、京都市生まれ。イラストレーター、漫画家。エッセイストとしても知られ、97年に「マイブーム」で新語・流行語大賞を受賞した。2021年本屋大賞「発掘部門/超発掘本!」で、著書『「ない仕事」の作り方』(文春文庫)が受賞。コラムニストの辛酸なめ子さんとの共著『ヌー道―nude―じゅんとなめ子のハダカ芸術入門』(新潮社)が発売中。3月18日に官能ロック小説集『永いおあずけ』(新潮社)が発売。

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