おそるべき奇病
かつて、「日本住血吸虫症(にほんじゅうけつきゅうちゅうしょう)」という、一部地域の人々を苦しめた奇病がありました。

「風土病」という言葉は今では死語に近いですが、日本住血吸虫症はその一種です。日本住血吸虫という寄生虫が静脈に入ることで発症する病気で、甲府盆地の笛吹川・釜無川の周辺地域だけで発症者が出ていました。

発症するのは、河川や水田での作業の後です。まず手足にかゆみを伴う発疹が現れ、後に高熱、下痢、血便、血尿などの症状が現れます。これを何度か繰り返すうちに腹水がたまって腹部が大きく膨らみ、手足が動かなくなり、最悪の場合は死に至ります。

当初、この病気は「水腫脹満(すいしゅちょうまん)」と呼ばれており、戦国時代の記録にもこの病気のことが記されてるといいます。

この病気は海外では今も存在していますが、日本は平成の時代に撲滅されています。しかしそこに至るまでには、日本人と寄生虫との100年に渡る戦いがありました。

明治時代、この奇病に近代医学で立ち向かおうという人たちが現れました。まず山梨県東八代郡石和村の医師だった吉岡順作は、当時の「ホタル狩りに行くと腹が膨れて死ぬ」「セキレイを捕まえると死ぬ」という言い伝えから、病気の原因は「川」にあるのではと考えます。

寄生虫の存在を把握
しかし、確認のためにはどうしても遺体の解剖が必要でした。当時は亡くなった人の身体にメスを入れるなど考えられない時代で、協力者はなかなか見つかりません。

そんな中、1897年に50代の農婦が名乗りをあげます。彼女は既に腹水が溜まっており、死期を悟って自らを献体に差し出すことにしたのです。

その結果、彼女の遺体の肝臓から虫の卵が発見され、病気の原因が未知の寄生虫であると判明。「日本住血吸虫」です。さらに、これは多くの寄生虫のように腸に棲みつくのではなく、肝臓に棲みつくことも分かりました。

次は感染経路です。当時、寄生虫というのは水の中にいて口から感染するという考え方が一般的でした。しかし飲料水の煮沸消毒を義務付けても発症者はなくならず、そこで考えられたのが、当時としては斬新だった「皮膚感染」の可能性でした。

調べてみたところ、これが正解だと判明。日本住血吸虫は幼虫が皮膚を食い破って体内に侵入し、成虫になって産卵し肝臓の異常を起こしていたのです。