ロシア人とはどんな考え方をする人たちなのか。東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠さんは「ロシア人は見知らぬ人をとにかく警戒する。このため『ロシア人がこの世で2番目に信用しないのはアメリカ人』というジョークがあるほどだ」という――。
※本稿は、小泉悠『ロシア点描』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

無限の不信と信頼が同居する国
ロシアという国で暮らしてみてどうにも不思議だったのは、他者に対する不信と信頼が同居しているという点でした。

ロシア人は見知らぬ人をとにかく警戒します。とにかく身内以外の人を信用しないのです。日本人はよく他人の赤ちゃんを見かけると「あらかわいい」なんて覗き込んだりしますが、ロシア人に対してやると思い切り嫌がられます。

ただ、面白いのは「ロシア人は特にロシア人を信用しない」というところです。この点はロシア人も自覚していて、「ロシア人がこの世で2番目に信用しないのはアメリカ人」というジョークがあるくらいです。つまり、「1番はいわずもがな、同じロシア人さ」という言外のオチです。

その代わり、一度身内扱いになるとどこまでも親切にしてくれたりもします。「困ったことがあったら何でもいえ」「何で俺に相談しないんだ⁉」という具合で「とにかく身内に何かしてあげたい!」という気持ちが強いようです。これはロシア人の気の良さでもあるのでしょうし、厳しい気候や専制的な政治体制の下では助け合わないと生きていけなかった、という歴史の反映でもあるのでしょう。

日本のヤンキー社会と似ている
さらに興味深いことに、ここでいう「身内」は必ずしも血縁とか実利的な関係に限りません。

例えばアパートのお隣さん。ソ連時代の夏休みといえば勤務先の用意してくれた保養地に長い休暇に出かけるのが国民的な楽しみだったのですが、こういうときには自宅の鍵をお隣さんに預けて行くという習慣がありました。

出かけている間に家に入らないといけない用事ができたら電話してお隣さんに入ってもらえるように、ということのようなのですが、あれほど他人を信用しないロシア人があっさり鍵を預けて行ってしまうというのがよくわからないところです(ちなみに、日本大使館が在ロ邦人に配布するハンドブックには「お隣さんには鍵は決して預けないで」といった注意喚起の文言があります)。

ところで身内に対して無限によくしてくれるということは、身内扱いされたら最後、こちらも無限によくしてあげないといけない、ということを意味してもいます。冠婚葬祭、誕生日、日々の困りごとなど、家族や友人に対しては最大限の献身が求められます。

これは日本のヤンキー社会にもちょっと似たところがあるのですが、私は故郷の松戸でもこういう濃密な人間関係についていけなかったたちなので、ロシアの社会にもあまり馴染んでいたとはいえません(ロシア語が下手だという別の理由もありますが)。

宿痾としての汚職
ロシア人の身内贔屓は、腐敗にも容易に繫がります。政府高官の息子が若くして国営企業の重役に納まっているとか、誰それはコネでおいしい仕事を独占できている、なんていう話はロシアでは事欠きません。

これに加えて、ロシア人が公的な制度をあまり信用していない、という問題があります。

お上の言うとおりにしても、申請がいつまでも受理されないだとか、裁判官が買収されているとかでロクなことにならなかった、という経験を誰もが少なからずしているわけです。だからロシア人は余計に身内を頼ります。正攻法でものごとを解決するより、「裏技」でなんとかしたほうがよっぽど速くて確実な場合が多いのです。

もちろん誰もが有力者の知り合いがいるわけではないですし、いたとしても無償で協力してくれるとも限らないので、こういう社会では賄賂がはびこります。特にソ連崩壊後は誰もが金に困っていましたから、この傾向に拍車がかかりました。病院で手術をしてもらうためには医者につけ届け、大学を受験するなら教授に賄賂、商売を始めるならその地区をシマにしているマフィアにみかじめ料、といった具合です。