地図アプリでは明らかに「ただの丘」
 2022年5月、フィンランドと共にNATO(北大西洋条約機構)へ加盟を申請したスウェーデンにはかつて、まさに秘密基地のような一風変わった空軍基地がありました。そこは、飛行機を駐機させるハンガー(格納庫)が、深さ約30mの場所にあるのです。今は博物館となったそこを訪れると、バルト海とバルト三国を挟んで旧ソ連と向かいあい、冷戦時代にスウェーデンが強いられた緊張を感じずにはいられません。

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ハンガーへ続く誘導路兼通路は、スロープになっている。途中に置かれたサーブ29「トゥンナン」(相良静造撮影)。

 有事の際は、道路から軍用機を発着させることで知られるスウェーデンですが、基地自体の“守備力”を強固にするため設けられたこの地下ハンガーは、南西部の都市イェーテボリの中心部から車で15~20分の郊外にありました。

 現在この基地は、イェーテボリ郊外の空港脇にある「Aerosuem(エアロゼウム)」という博物館になっています。ただ、地図アプリを使って「エアロゼウム」、つまり、かつての地下ハンガーを検索すると、ただの丘が指示されます。滑走路と地下ハンガーは、丘の下へスロープ状に続くトンネル兼誘導路でつながっているのです。地下ハンガーの中心部はさらに、駐機や整備のための横穴が串状に掘られています。また、細い通路が一部の横穴を繋いでおり、管制室や無線室も設けられていました。

 天井も、入口部分こそ岩盤にコンクリートを吹き付けた簡易的なものとなっていますが、中心部はトンネルや掩体のような「かまぼこ状」の天井がしっかりと造られており、当時は強固なシェルターだったことがうかがえます。

「モグラ空軍基地」どんな使われ方をしていたのか
 この秘密めいた空間は1942年に造られました。当初の面積は約8000平方メートルでしたが、冷戦期の1955年には2万2000平方メートルに広がりました。飛行機はここから、滑走路へ出て発進し、帰投後は再び地下に入っていったのです。

 この基地はスウェーデン空軍の第9戦闘航空団(F9)が使い、サーブ29「トゥンナン」やJ34(英国ホーカー「ハンター」をスウェーデン軍向けとしたもの)などが配備され、基地が閉鎖された後は、翼と胴を分解した80~90機のサーブ35「ドラケン」を保管していたということです。なおサーブ(SAAB)は、スウェーデンを代表する航空機メーカーです。

 筆者が「エアロゼウム」を訪れた際は、「ドラケン」やサーブ37「ビゲン」をはじめ、スウェーデン名SK16AのノースアメリカンT-6や「トゥナン」、電子戦専用のサーブ32「ランセン」E、そしてヘリなど歴代の空軍機が展示されていました。「ドラケン」はスクランブルでの待機状態が再現され、「ビゲン」はエンジンがくりぬかれ、お尻から空気取り入れ口までをかがんで通ることができるなど、展示としての趣向も凝らされていました。

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「エアロゼウム」の“屋根”になる丘の上から、靄がかかった空港を見る。手前のくぼ地は対空陣地のように石に囲まれていた(相良静造撮影)。

 地下ハンガーは窓もなく、外界と遮断されています。静かな空間には、スウェーデンがかつて試みた核兵器開発や、1952年6月にバルト海でソ連に撃墜された電波通信傍受機「TP79(DC-3)」についての展示もあり、冷戦期の諜報線のありようを示そうと、隠しカメラが埋め込まれた部屋もありました。

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 スウェーデンは、第2次世界大戦でも中立を保ち、長年「中立国」として存在してきました。しかし、戦後、常に東側と緊張を強いられてきたことは、地下ハンガーを広げたことからも分かります。

 フィンランドと同じように、「中立国」スウェーデンが、NATOへ加盟を申請した背景には歴史に裏打ちされた現実的な判断があるのは確かです。地下ハンガーだった博物館が見せる、かつての緊張感がこれ以上蘇らないことを願うばかりです。
【了】

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