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涼み台でくつろぐ人、裸で水遊びをする人たちが描かれた歌川広重の『東都名所 王子滝の川』(画像提供/国立国会図書館)

 東京電気がアメリカのゼネラル・エレクトリック社製のルームクーラーを輸入販売したのは1935年のこと。それまでの夏は暑かった──そこで、かつての日本の夏の過ごし方から、避暑の方法を学ぶべく、専門家に話を聞いた。

日が暮れたら夕涼みの時間に
 明治38(1905)年に、好事家・菊池貴一郎がまとめた『江戸府内 絵本風俗往来』という書がある。その中には、

「日暮れには稼業をやめて棚戸をおろして、往来一面に水やりをし、涼み台を出して、たばこ、うちわを出して、家々の主人、子供、妻まで涼み台に腰を掛けて納涼する」

 といった一節や、

「行水を済ませ、夕飯を食べたら、洗った浴衣を羽織って、たばこを持ってゆるゆると昼の暑さを払っている」

 といった記述があると、成城大学民俗学研究所研究員の小沢詠美子さんは言う(「」内、以下同)。

「江戸時代、いまから200年ほど前の夏の“東京”は、いまと違い、川風や海風がよく吹き込んできたので、日中は高温多湿になることがあっても、夕方以降は過ごしやすかったんです。ですから、日が暮れれば仕事を終え、夕涼みの時間になっていました」

 水やりとは、打ち水のこと。道に水をまいて冷やしたというわけだ。涼み台とは、茶屋などの軒先に出ている木製のベンチのようなもの。大通りに面している裕福な家庭では、家ごとに涼み台を持っていることもあり、着物から浴衣に着替えてそこで涼を取ったという。浴衣は着物と違い、中に長襦袢(ながじゅばん)を着ないうえ、汗を吸いやすく、着物より涼しかったと考えられる。

 では、家の軒先で涼めない庶民はどのように過ごしていたのか。

 1850~1867年に出版された『絵本江戸土産』という江戸の名所、名店、名物などを案内する書物には、両国橋の納涼風景が描かれている。

「旧暦の5月28日、いまでいう7月くらいに『両国川開き』があります。日暮れから川は涼み船(屋形船のようなもの)で埋め尽くされ、川沿いに“並び茶屋”という現代でいう特設カフェが連なります。人々はそこで麦湯や桜湯、葛湯、暑気払いの妙薬・ビワ葉湯などを飲みながら川風で涼を取っていたようです」

暑い日中は昼寝で健康管理
 江戸時代の夏は、夕方から涼むために外へ出ていたことはわかったが、仕事のある日中はどうしていたのか。

「昼食後は昼寝をしていたようです。前述の菊池の書にも『道路を行きかう人も日光にやられ、2時間くらい人が絶えて近所が静かになる』『職人たちは肘枕で寝たり、商人はすずり箱やそろばんに肘をかけて居眠りしたり。台所の女中も思い思いに居眠りをして、妻は奥で子供を寝かしつけながら居眠りをする』といった記述があります。これが当時の夏の健康を維持する過ごし方なんです。

 現在は厚生労働省も作業効率化のため、昼食後の短時間睡眠を推奨していますが、江戸時代にはすでにあった習慣なんです」

 軒先に風鈴を下げて、鈴の音を聞くことで感覚的に涼しさを感じたり、朝顔の鉢植えを並べて見た目の“涼”を作ったり、ということもしていたという。

 いまは風鈴も騒音扱いされて近隣トラブルの原因になるなど、当時の人々と同じことをしても、“涼しい”とは感じられないかもしれない。しかし、いまよりモノがない時代に、のんびりと、暑い夏を受け止めながら楽しんでいたことは確かだ。その心の持ちようには、いまも見習いたい部分がある。

取材・文/簗場久美子

※女性セブン2022年7月21日号

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