「誠意を見せて下さいよ」

そう言われた時、大抵の場合は「カネを払え」という遠回りなメッセージを感じ取るのは、現代人の必須スキルかも知れません。

しかし時代が違えば誠意の形も違うもので、往時の武士たちが示す誠意はいささか過激なものでした。

今回は鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』より、源頼朝(みなもとの よりとも)が示した誠意を紹介したいと思います。

お寺の壁板を盗んだ下手人たちの両手を……
時は文治5年(1189年)9月9日、奥州征伐からの帰り道。頼朝が陣ケ岡の蜂神社(現:岩手県紫波郡紫波町)に滞在していると、近くの高水寺(こうすいじ)より、住職の禅修坊(ぜんしゅうぼう)はじめ16名の僧侶らが訴え出てきました。

「何事か」

尋ねたところ、御家人の下男らが多数境内に乱入。本堂の壁板13枚をはぎ盗るという罰当たりなことをしたと言うのです。

「相分かった。ただしに下手人を調べ出し、即刻処断する。平三」

「は」

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頼朝の命を受けて「誠意」を見せる景時(イメージ)

さっそく梶原景時(かじわら かげとき)に捜査させ、たちまち捕らえた下手人は宇佐美平次実政(うさみ へいじさねまさ)の下男たち。盗品の壁板もちゃんと押収しました。

「此度は、我が手の者が申し訳ないことをした。どうかこの通り、ご寛恕願いたい」

下手人たちを僧侶たちの面前へ引き出し、盗品の壁板を揃えて返納した頼朝。しかし僧侶たちは収まらない様子。

「謝られたところで、はぎ盗られた壁板は戻りません」

「ではこの者たちに加えて、皆で普請(修繕)いたしますゆえ……」

「畏れ多くも仏様のおわす本殿を壊しておいて、それで済む話なのでしょうか」

世の中、誠意が何より大事。だからそれを見せてもらいたい……下手に出ている頼朝を前に、僧侶たちは少し強気に出始めたようです。

が、頼朝の返答に僧侶たちは震え上がることになります。

「しからば、我らの『誠意』をお見届けいただくよりあるまい……平三。皆様方が『お気の済むように』して差し上げろ」

「は」

指示を受けるが早いか、景時は下手人たちの両手をズダンズダンと叩き落とし、辺りに返り血が飛び散りました。

「ぎゃあ!」「何てことを!」

泣こうが喚こうが容赦なく斬り飛ばした手を、片っ端から釘で壁板に打ちつけさせました。一枚あたり左右の両手の打ちつけられた壁板をきっちり並べ終えると、頼朝は僧侶たちに向き直ります。

「これが我らの『誠意』にございます。以後、本堂へ立ち入るたび、壁板に打ちつけられた手が盗人らへの見せしめとなりましょう」