今回はあえて断定的に書く。もう「もしそうなら」とか保険をかけるのは面倒なのだ。見えている事実を積み重ねれば、事の真相は明白ではないか。

 統一教会報道が続く中で、案の定それを抑制する動きが出てきた。テレビお得意の「バランスを取りましょう」しぐさだ。古市憲寿や爆笑問題太田が「報道がヒートアップすると犯人のもくろみ通りになってしまう」「テロによって社会が動けば次のテロが起こる」などと言い出した。

 いや、犯人のもくろみなどまだ誰にもわからない。事件がきっかけで長年忘れられてきた統一教会の悪行、政治家との関係が明るみに出たのなら、その闇は解明されなければならないはずだ。自党の総理が殺されたら徹底的に追及するのが当たり前だが、政府はいやに及び腰だ。追及すれば自分の首を絞めることになるからだろう。

 御用司会者やコメンテーターは統一教会の肩を持つわけにもいかず、テロの誘発になるという論理で報道の過熱を抑制する。がそれは詭弁だ。太田は「言葉でしか闘えない」と熱く語ってみせるが、テロをきっかけにして、今や問題は統一教会と政治の闇だ。その追及はすべて「言葉」によって行われているではないか。テロによって明るみに出た問題の解決は、テロを誘発することとは別問題だ。太田はなぜここまで変節したのか、昔はこんなじゃなかった。誰か身内を人質に取られているのか、大きなスキャンダルを揉み消してもらったのか、などとあらぬことを考えてしまう。

 ああ、もうこれも何度も言うことだが、山上容疑者の肩を持つわけでも、安倍氏の死を因果応報などと言う気持ちもさらさらない。しかし、統一教会の名称変更から明らかに教会への捜査が緩くなったのは事実だ。警察人事や司法人事に官邸が介入した。そして、伊藤詩織さんのレイプ犯逮捕の揉み消しなどの権力の私的乱用が続いた。そのことが警察の力を劣化させていき、要人警護のレベルも低下させた。

 しかも1週間前に野党議員が同じ交差点での演説を申請したら警備上の理由で許可は下りなかった。そこに長野の候補者のスキャンダルを嫌った安倍氏が急きょゴリ押しで奈良にやってきた。これらの事実の積み重ねがなかったら。いや、そもそもあらゆることのゴリ押しを通してきた「言い出したら聞かない」子だった安倍氏の横暴を全て通してこなかったら。

 そして何よりも安倍氏が、関連団体のビデオレターで代表に敬意を示すという一線を越えていなければ。

 いやいや、それらの傲慢の一つ一つを、諭し、やめさせるイエスマンではない存在がそばに居さえすれば。

 どれか一つでも違っていれば、あの凶行は起きなかったのではないか。いや、今日は断言するのだった。あの事件は決して起きなかったのだ。

(ラサール石井/タレント)