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東京都慰霊堂や朝鮮人犠牲者追悼碑がある横網町公園(東京都墨田区)

2つの疑問
 関東大震災では、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、日本の軍隊や警察、自警団などが6000人以上の朝鮮人を虐殺した。と、韓国では語り継がれてきた。

 来年9月1日は、震災から100年の節目にあたる。

 韓国では40あまりの市民団体が参加する「関東虐殺100周年追悼事業推進委員会」が発足し、事件の真相究明と被害者・遺族への補償を求めて活発に動いているという。

 今後は慰安婦や徴用工のように、日韓の大きな歴史問題になる可能性があるとか。

 しかし、韓国で主張されるように日本の官憲は、「組織ぐるみで『虐殺』を行ったのか?」「6000人という犠牲者の数はどうやってはじき出したのか?」

 疑問は多々ある。その真相について、少し調べてみることにした。

デマが流れた時代背景
 震災直後から「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が略奪や放火をしている」といったデマが流れていた。

 大阪や仙台などの新聞も東京や横浜の状況を記事にして詳しく伝えていたが、そこにも「不逞鮮人団が襲撃して各所に争戦を起こし」などと書かれたものが多く見かけられた。

 記事の情報源は、関東からの避難民から聞いた話が多くを占めていたというから、被災地でデマが浸透していたことが、そこからもよくわかる。

 震災の4年前には朝鮮半島で3.1独立運動が起こり、テロや暴動が頻発した。朝鮮人への警戒感が高まり「不逞鮮人」という言葉が流行語になっていた頃だけに、そういったデマが流れたのだろう。

 さらに、デマを信じた人々は自警団を結成し、竹槍などで武装して“不逞鮮人”狩りを行った。これによって殺害された者がいたことも間違いない。

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小石川植物園(東京都文京区)内にある関東大震災記念碑(著者撮影)

犠牲者6000人以上はどうやって調べた数字?
 それで犠牲者はどれくらいの数になるのか。上海で設立された大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」では、犠牲者数を「合計6661人」と報じていた。

 実は、これが現在の韓国で信じられている虐殺の犠牲者数となっている。

 被災地を訪れた朝鮮人の慰問団が聞き取り調査をして、この数字がはじき出されたという。

 しかし、調査にあたり官憲の協力は得られなかったという。果たして、それで正確な数字がわかるのだろうか。

 当時の東京と神奈川には約2万人の朝鮮籍の人々が住んでおり、震災後に生存が確認された数をそこから差し引くと、6500人前後という数字になるが…、ひょっとして、震災による死亡者や行方不明者の数もすべて虐殺の犠牲者としてカウントしたのではないか。そんな疑念がわき起こる。