「無感動な官葬」だった吉田茂元首相の国葬

エリザベス女王の国葬に、イギリス国民だけではなく、他国の人々までが敬意や弔意を示したのは、あれが国教に基づく宗教儀式だからだ。
美しい讃美歌や、英国国教会の最高位聖職者であるカンタベリー大主教による説教をしてから参列者や国民が黙祷をしたように、
他国の伝統、文化、そして宗教に対するリスペクトが、故人への敬意や弔意にもつながっているのだ。

しかし、残念ながら「安倍国葬」はこうならない。公金を投入する政府事業なので宗教色を排除しなくてはいけないのだ。
戦後唯一おこなわれた吉田茂元首相の国葬でも、軍国主義を連想させる神道的な要素はもちろん、吉田氏の信仰するキリスト教、さらには仏教などあらゆる宗教の要素を徹底的に排除した。
その結果、機械的に参列者が花を手向け、手を合わせて去っていくだけの「形式的なお別れ会」にしかならず、マスコミから「無感動な官葬」(読売新聞1967年11月3日)などと酷評された。
「安倍国葬」も55年前の過あやまちを繰り返す可能性が高いのだ。

筆者は、この「宗教色ゼロのお別れ会」というところが、日本の国葬が、多くの国民に支持されない理由のひとつではないかと考えている。
https://president.jp/articles/-/61916?page=2