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県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者の追悼碑=高崎市で

 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある、太平洋戦争中に労務動員された朝鮮人労働者の追悼碑の存続を求め、市民団体が県に話し合いを提案している。碑の前での集会で、条件違反の「政治的発言」があったとして、県は二〇一四年に設置許可を更新しないと決定。市民団体は不許可処分の取り消しを求めて訴えたが、六月に最高裁で敗訴が確定した。県は行政代執行による撤去を検討するが、市民団体は存続を願う。(羽物一隆)

 県が問題視したのは、一二年に開かれた朝鮮人労働者の追悼式での参加者の発言。県は追悼碑の設置時に「政治的行事を行わない」と条件を付けており、追悼式での「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などとした発言を県が「政治的だ」と判断した。

 裁判では一審、二審とも強制連行に関する発言を「政治的である」と認めた。一審は「追悼碑の存在によって、都市公園の機能を喪失したとはいえない」として更新不許可を違法とした。二審は「追悼碑の存在自体が論争の対象となり、都市公園にある施設としてふさわしくない」として不許可処分を認め、最高裁も判断を引き継いだ。

 二審判決の「論争の対象となった」とする判断は、追悼碑に対する県への抗議などを指しているとみられる。一二年ごろから抗議電話や街宣が繰り返され、同年十一月には公園で右派系団体が職員と小競り合いを起こした。県が更新不許可処分を出した一四年には、さいたま市で九条俳句不掲載問題もあり、抗議に対して行政側が神経質になっていた時期だった。

 この問題に詳しい群馬大情報学部の藤井正希准教授(憲法学)は「追悼碑の存在と式典での発言は、本来は別のものと考えるべきだ」と指摘する。碑には朝鮮人労働者の労務動員に関する記述があり、これが右派系団体の抗議につながったとされるが、「(碑文に)政府の公式見解から逸脱した表現はなく、政治的に問題となるべき要素はない」とみる。

 追悼碑を管理する市民団体は八月二十二日、山本一太知事に意見交換の場を求める要望書を出した。これに対し、山本知事は同二十五日の定例会見で「裁判で示された司法の判断を県が変えることはありえない」とし、意見交換に「余計な期待を持たせることはしない」と言い切った。

 市民団体の弁護団の角田義一団長は「今後も追悼式などは行わない。異郷の地で命を落とした人を静かに悼むため、県は話し合いに応じてほしい」と話す。

 朝鮮人追悼碑を巡っては、福岡県飯塚市など全国で撤去を求める抗議が寄せられている。藤井准教授は「公有地に碑があることの意義は大きい。県がどの程度の配慮を示すかは、各地の追悼碑の問題に影響するだろう」と指摘した。

<「群馬の森」の朝鮮人労働者追悼碑> 県立公園「群馬の森」の一角で2004年に完成した碑。民間のグループが1990年代に実施した調査によると、群馬県内では朝鮮人6000人以上が軍需工場や鉱山に労働動員され、病気などを含め300~500人が命を落としたという。調査したメンバーらが追悼碑建設を計画し、98年に設置に向けて活動を開始。市民から賛同金を募って完成させた。碑の裏面に記された文面では、設置許可を得る際に県と調整し、原案にあった「強制労働」を「労務動員」に換えた経緯がある。朝鮮人労働者の追悼碑が県有地にできたのは全国初だった。

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