働く子どもたち

戦争がはげしくなるにつれ、学生も戦場に加わる。国内は人手が不足、子どもたちも軍事工場で働きり、
食料生産へとはげむ。戦争が長引くと、国全体が戦争一色になっていく。
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310148_00000

1941年12月にはじまった太平洋戦争は、日を追うごとにはげしくなっていきました。
次々(つぎつぎ)と働き手が戦場に行き、大学生までもが軍隊に集められました。
そのため国内では人手が不足していきました。昭和19年には、
12歳(さい)以上のすべての生徒は兵器工場で働くことが決められました。
女子生徒も例外ではありませんでした。男子生徒と同じように労働が課せられたのです。
兵器工場に人手を取られるにつれて、食料をつくる人もしだいに足りなくなっていきました。
そこで国は、小学校の子どもたちにも、空き地などを使って食料の生産にはげむよう指示しました。
太平洋戦争が長引くにつれて、子どもからお年寄りまで、戦争のために働くことになっていったのです。