https://www.dailyshincho.com/wp-content/uploads/2022/11/2211171439_5-714x474.jpg
喜納昌吉氏

「すべての武器を楽器に」を合言葉に平和運動を繰り広げてきた喜納昌吉(きなしょうきち)。だが、この沖縄を代表するミュージシャンの姿は「本土復帰50周年」のイベントになく、いまや沖縄から排除されつつあるという。信念を貫き、独自の道を歩み続ける孤高の異端児の音楽と思想。

 ***

 沖縄を旅したことのある人なら、喜納昌吉(74)が作った「♪ハイサイおじさん、ハイサイおじさん♪」で始まる沖縄音階の軽快なメロディーを、ホテルやビーチ、街中の飲食店や土産物屋の店頭で必ずや耳にしているはずだ。

 いや、このメロディーを聴くのは沖縄だけとは限らない。故志村けんの代表的なギャグ「変なおじさん」もこの歌の替え歌だったし、甲子園でもっとも頻繁に演奏される沖縄県代表の応援歌も同じメロディーである。沖縄発のもっとも有名な曲といってもいい。

 今年7月22日に放映されたNHKのドキュメンタリー番組「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」では、「沖縄が熱く燃えた夏~甲子園に託した夢~」と題して、この「ハイサイおじさん」が甲子園の応援歌としていかに重要であるかが伝えられ、歌にまつわるさまざまなエピソードが詳しく紹介された。

 それによれば、1990年夏、沖縄勢として決勝に初進出した県立沖縄水産高校を応援するため、関西の沖縄県人会が選んだ「ハイサイおじさん」が甲子園で演奏され、同校は準優勝を果たす。

興南の連覇にも貢献?
 それ以後、「ハイサイおじさん」は応援歌として甲子園ですっかり定着する。

 2010年、那覇市の私立興南高校が春の選抜大会で優勝するが、この時も「ハイサイおじさん」が応援を盛り上げたという。興南は夏の大会にも出場し春夏連覇を狙うが、大会が始まってから、沖縄の地元紙に「『ハイサイおじさん』は酒浸りの男の話だから高校野球にふさわしくない」といった趣旨の投書が掲載され、興南高校の応援団はこの曲の不使用を決める。

 ところが、県民や応援団のあいだから、「ハイサイおじさん」抜きでは応援が盛りあがらないという声が上がり、8月20日の準決勝、21日の決勝では、一転してこの曲が演奏された。沖縄勢の士気は高まり、「ハイサイおじさん」は興南の春夏連覇に大きく貢献した、といわれている。

なぜ本人のコメントがない?
 が、この番組には不可解なところがあった。高校野球の沖縄勢の活躍を支えたのは「ハイサイおじさん」であると伝えながら、「ハイサイおじさん」の作者であり、歌い手である喜納昌吉のコメントやインタビューが一切登場しなかったのである。

「ハイサイおじさん」は、のんだくれの近所のおじさんと少年時代の昌吉とのコミカルなやり取りを歌にしたものだが、おじさんが酒浸りになった背景には、心を病んだおじさんの妻が、娘を殺して首を落とし、それを鍋で煮て食べた末に自殺するという凄惨な事件があった。昌吉は、苦しみを酒で紛らわそうとするおじさんへの親愛の情を込めてこの歌を作ったが、番組では、こうした経緯にもろくに触れられていなかった。

 喜納昌吉は、今も沖縄で現役のミュージシャンとして活躍している。民主党沖縄県連代表まで務めた元参院議員(比例区選出)・政治家としても知られる。内外でロングセラーとなった名曲「花~すべての人の心に花を~」の作者でもある。その昌吉の代表作を題材にした番組であるにもかかわらず、本人のコメントがないのはなぜなのか。

つづき
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/11221056/