https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/a/0/a/9/a0a9a2ed419f5957b49477e081920b26_3.jpg
2021年4月、モスクワでインタビューに応じるロシアの映画監督アスコリド・クロフ(小柳悠志撮影)

 爆撃を受けた民家、泣き叫ぶ住民たち…。感情をかき乱されるウクライナ侵攻の光景も、ロシアの映画監督アスコリド・クロフ(48)は「映像作家として冷静に記録者になる」と直視するつもりだ。侵攻のドキュメンタリー映画をつくり、親友であるウクライナの映画監督オレグ・センツォフ(46)と、同国の勝利にささげるために。

◆ロシア人であることを恥じたクロフ
 「自分は侵略国家の一員だ」。ロシアの侵攻が始まって間もない3月、クロフは母国を去ると決めた。マネキンのように転がる遺体や拷問部屋の跡など戦争犯罪の報道に接し、ロシア人であることを恥じた。反戦デモは弾圧され、侵攻に異を唱える言論も封殺されるなど、国は専制主義の色合いを濃くしていた。

 モスクワ空港の検問で旅券を出すと別室に連行され、治安部隊に「スマホを出せ」とすごまれた。戦争を嫌って出国する市民への嫌がらせで、1時間半もの尋問を受けた。ようやく飛行機に乗り込み、黒海の先のウクライナに思いをはせた。「センツォフは無事でいるだろうか」

◆クロフが制作した映画で窮地を脱したセンツォフ
 国籍の異なる2人は社会のひずみを映像という「武器」で告発する共通の志を持つ。クロフの映画を見たセンツォフが連絡し、2011年にモスクワで初対面した。クロフは相手の「炎のような瞳」と率直な物言いを気に入った。

https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/a/0/a/9/a0a9a2ed419f5957b49477e081920b26_2.jpg
2015年8月、ロシア・ロストフの裁判所で、懲役刑を言い渡されVサインをつくるウクライナ人映画監督オレグ・センツォフ=AP

 センツォフは「プーチン(ロシア大統領)と闘う映画監督」と呼ばれ、ノーベル平和賞の有力候補にもなった人物だ。14年、ウクライナ南部クリミア半島併合に異を唱えたことで、ロシアの秘密警察に「テロ容疑」で逮捕され、懲役20年の判決で極北ヤマル半島の監獄に収容された。

 「反プーチン」のドキュメンタリー映画監督として名声を得ていたクロフは、この事件を映画に仕立てた。被告席で「事件はでっち上げ」と反論し「ウクライナはロシアに屈しない」とVサインをつくるセンツォフを描いた。「友の気高さを世界に知らせたい」との一心で、氷に閉ざされた監獄も訪ねた。解放を求める国際世論が高まり、センツォフは19年、捕虜交換でウクライナに帰還した。クロフの「武器」が専制主義に打ち勝った。

◆いまは連絡が取れない センツォフは戦場に身を投じた
 だが2月からの侵攻は、2人をさらに引き裂いた。センツォフは志願兵となり、映画を捨てて本物の武器をとった。最後の会話は、侵攻開始直後にセンツォフからかけた電話だ。

 「ロシアの様子はどうだ。反戦運動はあるか」。クロフが「反体制派は国を去った」と正直に答えると、センツォフは落胆したようだった。以来、2人の連絡は途絶えたままだ。クロフは親友の決断を「意志を通したいという彼なりの覚悟だろう」と推し量る。

 プーチンは「兄弟」と呼ぶウクライナへの空爆を続け、両国累計の死傷者は20万人に及ぶとされる。泥沼化する戦況と親友の身を案じながら、クロフは亡命先のトルコでドキュメンタリーの構想を練る。戦火を映像で伝えることが、ロシアとウクライナの友情を取り戻す道しるべになると信じるからだ。

 「君とウクライナに一日も早い勝利を」。心の中でセンツォフに呼びかけるクロフ。プーチン支配が終焉しゅうえんを迎える日、友と再会するつもりだ。 (敬称略、ヨーロッパ総局)

  ◇  ◇

<侵攻の波紋 ~あらがう人々~>

ロシアによるウクライナ侵攻は、世界が抱える課題を改めて浮き彫りにした。各国の現状や、課題に立ち向かう人々の姿を伝える。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/222774