【19世紀】イザベラ・バードの朝鮮紀行「ソウルは排泄物の悪臭が漂う世界一不潔で何もない都市」

バードは本書の中で、ソウル、条約港、幹線道路の周辺のはげ山は非常に目につき、儒教の影響で国内で見下されている手工業は不振で美術工芸は何もなく、国土の有様に関しても不幸な未来を抱かせると述べている。

1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「ソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している。

また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。
道といっても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」、小川というか下水というか水路について、「蓋のない広い水路を暗くよどんだ水が、かつては砂利だった川底に堆積した排泄物やごみの間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく」と記している。
1660年~1864年の間に死亡者が多数発生した疫病は79回あるとして、このうち一回で10万人以上が死亡した場合は6回もあったと不衛生さを述べている。

また、ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もなく、旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない、と驚いた。
孔子廟と碑を除くと公認の寺院がひとつもなく、城内に僧侶が入ると死刑に処せられかねないため、清や日本ならどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がソウルにはないとしている。