しかし巣鴨プリズン側は、「国民が飢えているのに戦犯にそんな贅沢はさせられない」と難色を示す。
それを聞きつけた心優しい韓国人料理人たちが、ボランティアで食材を持ち寄って昭和天皇にふるまってやったという。

昭和天皇は大変満足され、
前日までは毎日怯えながら所かまわず脱糞されていたにもかかわらず、
死刑当日はもう思い残すことは無いという穏やかなお顔で絞首台に上っていったという。

最期の言葉 「今度産まれてくるときには朕も韓国の王族として産まれますように」