残骨灰の所有権は自治体だが、抽出した有価金属は遺族のもの? 公共福祉である火葬場がフル稼働するだろう2040年代に向けて、すべきこととはなんなのか。

800万人が亡くなっていく“超超”高齢化社会の日本

火葬や埋葬は『墓地、埋葬等に関する法律』で細かく決まっているため、火葬場以外の施設で火葬することは禁止されている。そして火葬場の運営には都道府県知事の許可が必要で、公共施設の扱いだ。なので、残骨灰の所有権は自治体となる。

このことから、残骨灰から有価金属を抽出・精錬して売却することは法律的には問題ないとされるが、死後の自分が鉱山のように扱われることを不快に思う人もいるだろう。

そうはいっても、感情面だけで語っていられないのが、高齢化社会となっている日本の現状だ。約800万人いる団塊の世代が後期高齢者となる2025年にかけて、日本は多死社会に入る。

年間死亡者数はピーク時には168万人と推測され、2021年の143万9809人より約25万人増。火葬場がフル稼働するのは想像に難くない。残骨灰が課題になる背景には、この火葬場の事情がおおいに関係しているようだ。

火葬料は地域により金額がまちまちで、公営の火葬場であれば無料や数千円程度の自治体もある。浄土宗の僧侶で京都・正覚寺住職でジャーナリストの鵜飼秀徳さんいわく、京都の火葬料の相場は1万5000円程度だそう。その理由を日本葬送文化学会の会長・長江曜子さんに教えてもらった。

「火葬は公共福祉ですから費用は税金から補填されています。その地域で市民として納税や義務を果たしていた方というのを根拠として、原価から減額されているんですね。ただ、人を瞬時に骨にするには、莫大なお金がかかります。ひとりあたり約10万円程度ですが、燃料費の高騰で今はもう少し高くなっているのではないでしょうか」

京都を例にすれば、ひとりにつき単純計算で8万5000円が補助されている計算だ。多死社会のピークに向けて、燃料だけでなく老朽化した施設修繕も含め、火葬まわりの支出が膨れ上がるのは確実だろう。

死は個人の問題ではなく公共性という事実
「村八分」とは、村の掟や習慣を破った者に対して課される制裁で、ほかの住民が結束して、その家と絶交することだ。但し、火事と葬式については例外であった。埋葬まで行わなければ衛生上の問題が起きるためで、古来より死は公共性を伴っているのだ。

「そもそも、死を見送るのは自分ひとりではできないので、弔うには相互扶助の精神がないといけません。火葬から埋葬まで、近親者が残っていない人でも公務員や誰かが立ち会い、お見送りされます。ところが、死の話題はタブーとされ、議論することではないとされていることから、実情を知る機会が少なく、また公共教育がありません。かつては公共教育がなくても地域で行われる法事で自然と学んでいましたが、それも現在は失われています。

どう死んでいくのかを学ばずして、どう正しく生きるのかはわかりません。社会の中で、死がどのように機能しているのか。故人の尊厳を守りながら、知る必要がある時代にきていると思います」(前出・鵜飼さん)

公共性に重きをおけば、自治体が有価金属を売却して火葬場の施設運営費に充てることは次世代につながる人生最後のご奉公と思えるかもしれない。逆に、個人に重きをおけば何ひとつ他者には渡したくないと思うのも一理ある。

共同体の一員として、死をどう振る舞うのか。それを考えるための知識も情報も経験値も、すべて足りないのが現在の日本なのだ。

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