2/12(日) 7:02    現代ビジネス
https://news.yahoo.co.jp/articles/d97d54bc6490455132d09ac5c744bf885603a909?page=1

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歴史とは、人と物が時間軸・空間軸の中をいかに運動したかを記述するものである。話題騒然の前作に続き、日本史の「未解決事件」に「科学」を武器に切り込む! 


本記事は播田 安弘『日本史サイエンス〈弐〉 邪馬台国、秀吉の朝鮮出兵、日本海海戦の謎を解く 』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。
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 16世紀の世界を一変させた大航海時代に、西欧列強に対し、うかつに手を出すと痛い目にあうことを見せつけて植民地化を免れた「ジパング」こと日本は、やがて港のほとんどをみずから閉ざします。豊臣政権を倒して日本の支配者となった徳川家康が開いた江戸幕府が、ごく一部の国を除いて出入りを禁じる鎖国政策を採ったからです。そして日本は、250年にもおよぶ泰平の眠りにつきます。一国の平和な状態がこれほど長く続いたことは、世界にもほとんど例がありません。内政が安定していたのもさることながら、外からの侵攻がなかったことがその大きな要因でしょう。

 化学反応や熟成、発酵には長く安定した時間が必要です。その時間を与えられた江戸時代の日本では、さまざまなものが育ちました。それらを総称して「文化」というなら、江戸時代の日本の文化は世界でもかなり高い水準にあったことが、近年の研究でわかってきています。泰平の眠りから起こされた日本を救ったのは結局、それらの文化だったのではないでしょうか。

 この間に世界では、スペインが没落し、かわって英国が7つの海を支配するといわれた巨大な海洋帝国を築いていました。世界の植民地から英国が収奪した富は、莫大な量にのぼりました。大英博物館やルーブル美術館の展示品を見れば、いかに世界から多くの宝物が集まったかがわかります。エジプトなどは現在、持ち去られた出土品の返還を求める交渉をしています。