3/4(土) 6:01   ダイヤモンド・オンライン
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 半導体への関心が高まるなか、開発・製造の第一人者である菊地正典氏が技術者ならではの視点でまとめた『半導体産業のすべて』が発売された。同書は、複雑な産業構造と関連企業を半導体の製造工程にそって網羅的に解説した決定版とも言えるものだ。
今回は、かつて世界トップのシェアを築いたNECで活躍した経験を踏まえ、日本の半導体メーカー凋落の原因を明かしてもらう。

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● 失われた日の丸半導体の栄光

 グローバルな半導体市場の推移のなかで、日本の半導体産業はどのような経緯を辿ってきたのでしょうか? 次の図には、1990年から2020年までの、半導体市場の地域別シェアの推移が示してあります。

 まず日本に着目すると、1990年には49%と世界のほぼ半数を占めていたシェアが、その後は坂を転げ落ちるように右肩下がりで減少し、2020年にはわずか6%にまで下がりました。しかし、この傾向はまだまだ止まりそうもありません。

 これと対照的なのがアジアパシフィック地域です。1990年のわずか4%から2020年には33%へと、急激な右肩上がりの成長を続けています。この間、アメリカは38%から55%へと堅実な伸びを示し、ヨーロッパは9%から6%へと低レベルでの減少傾向を示しています。

 次の図には、半導体メーカーの売上高ランキング(トップ10)の推移を1992年から2021年までの5年分を取り上げて示してあります。

 1992年には世界トップ10のうち、日本のメーカーが6社を占めていました。それが2001年には3社、2011年には2社、2019年から2021年にはわずか1社になっています。

 この間、米国は3社から5社へと増えただけでなく、インテルのコンスタントな健闘と、2001年以降に新しいメーカーの出現、およびその伸びが目立ちます。また2001年以降、韓国のサムスン電子とSKハイニックスがどんどん地位を上げ、2021年にはサムスンがインテルを抜いて世界一の半導体企業になっています。

 これらのデータからもわかるように、1980年代まで半導体の世界では、日本企業が「日の丸半導体」と呼ばれて世界を席巻し、エズラ・ボーゲルに「ジャパン アズ ナンバーワン」と持ち上げられたのも今は昔で、もはやその面影もありません。まさに日本の「失われた30年」と軌を一にしているのです。

 この30年間、我が国の半導体メーカーが目を覆うばかりに凋落した原因は一体何だったのでしょうか。日本企業が半導体分野で復活するためには、まずは「原因」を突き止めなければなりません。

● そもそも「ダントツの地位」を築けた理由は何だったのか?

 しかし、その前に、なぜ、日本の半導体メーカーが世界市場の50%、DRAMに限れば75%ものシェアを占めることができたのか、それから考えてみましょう。

 半導体技術が、トランジスタから集積回路(IC:Integrated Circuit)、さらに大規模集積回路(LSI:Large Scale Integration)へと進歩するのに歩調を合わせるように、有力なアプリケーションの一つだった電卓分野で、1960年台後半から1970年台前半にかけて電卓戦争と呼ばれた激しい開発競争が行なわれました。これがやがてインテルのマイクロプロセッサ4004に繋がっていったことは周知の事実です。

 また1973年から1974年にかけて、IBMからフューチャー・システムと呼ばれた次世代コンピュータシステムを開発するという研究開発プロジェクトが発表されました。これを実現するにはLSI技術の革新的な進歩が必要とされたのです。

 これに触発された、あるいは焦った日本の半導体メーカーと政府(当時の「通商産業省」、現在の「経済産業省」)は、1976年に官民合同の超LSI技術研究組合を立ち上げ、1980年までの4年間、VLSI(Very Large Scale Integration 超大規模集積回路)の製造技術の確立に向けたロードマップの策定と製造設備の国産化に向けた活動を続けました。

 この活動成果についてはさまざまな評価がありますが、誰もが認めるのはEB直描装置(電子ビームによる直接描画装置)とステッパー(縮小投影露光装置)の量産化の成功によって、その後のLSI技術進歩の大きな原動力になったことでしょう。