大阪マルビル 梅田のランドマークは高さ約123メートル 建て替え後はさらに高層になるという
 大阪・キタの玄関口、梅田のランドマークとして親しまれた円筒形の高層ビル「大阪マルビル」に入る「大阪第一ホテル」が3月31日正午、営業を終了した。

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 1976(昭和51)年4月に開業した大阪マルビルは47年の歴史にいったん幕を下ろす。地下の飲食店なども2023年5月末で営業を終える予定で、完全閉館はそれ以降となる。

 2023年夏からビルは解体され、2030年春の完成を目指して建て替え工事に入る。かつての大阪駅前のランドマークも、間もなく見納めとなる。

 大阪マルビルは、梅田一帯の地主、九代目吉本五郎右衛門の分家の末裔に当たり、著書「どケチ人生」がベストセラーになった実業家・吉本晴彦氏(故人)が初代の運営会社「(旧)大阪マルビル」の会長を務め、“ファッションタワー”としてレストランやアパレルショップなどを備えた。

 当時は大阪・梅田のどこからでも姿を見ることができる周辺で唯一の高層ビルで、屋上にはビルを一周する回転式の電光掲示板「コンピュートサイン」(当時、全国初)でメッセージを発信し、その円筒形のユニークな形状から梅田のランドマークとして長らく親しまれてきた。 1986(昭和62)年には、ディスコブームの火付け役である「マハラジャ」もあった。マハラジャは1996(平成8)年にクローズした。

 大阪第一ホテルは、 大阪マルビルの中核をなす10~29階。460の客室と5つの宴会場があった。

 3月31日、ビル最上部の電光掲示板には「大阪マルビルは50年近く、大阪の街の成長と共に過ごしてまいりました。新しいマルビルで皆様とお会いできる日を楽しみにしております」とのメッセージが流れ、ロビーにも従業員から感謝のコメントが掲げられた。

 大阪マルビルを所有する大和ハウス工業によると、建て替え後も一部に円筒形のデザインを残すという。

 なお、大阪・関西万博の開催期間中(2025年4月13日~10月13日 184日間)は、会場の人工島・夢洲(大阪市此花区)とを結ぶ、ツアー専用バスターミナルとして敷地を活用する。

 2030年春に完成する新たな大阪マルビルでは、にぎわい創出の場・文化交流の場として、ホテルや多目的ホール、オフィスなどで構成するという。

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