北方領土について、多くの国民に「日本の領土を不法占拠されている」という共通認識はあるものの、裏にある“問題の本質”に気付いている人はほとんどいないと、東京大学名誉教授の矢作直樹氏と、世界の金融や国際協議の実務にかかわる宮澤信一氏はいいます。「憲法9条」と戦後の日本を巡る世界の動きから、北方領土問題の真実をみていきましょう。

いい加減にやめるべき憲法9条議論
【宮澤】終戦後、日本はアメリカ、ソ連、イギリス、中華民国の戦勝国間で4分割される予定でした。

ポツダム宣言はまずアメリカ、イギリス、中華民国の名前で出してあとからソ連が追認したかたちになっていますが、実質的な分割統治の主体はその4カ国による分割です。どの国がどう取るかというところまで話は進みました。

そんな状況のなかでアメリカがひとり勝ちのようなかたちになりましたが、他の3国との間に競争があったんですね。

事実上、アメリカが日本を独占したようなかたちになりましたが、アメリカは他の国の面目を保たなければならずお互いにいい顔をしなければいけない、という立場にいました。

アメリカを除く戦勝国が最も恐れていたのは、日本が再軍備をしたらなにをされるかわからないということ、つまり復仇、報復です。

終戦の状況を見てアメリカにはそんな心配はいらないという見方があったのだけれども、他の国との整合性を保つために憲法9条の戦争放棄条項をあえて入れたという側面があります。ここにもアメリカ一流の外交理論が働いております。

そう考えると、日本国憲法についてはアメリカが一方的に日本に押し付けたと考えている人が多いのですが、そうではないことになります。

中華民国は置いておいても、少なくともソ連とイギリス、そしてアメリカの3つの国が納得できる憲法をつくらなければいけなかったのです。アメリカは、仕方なく9条を入れたと考える方が合理的です。

GHQ主導で日本国憲法が制定された“裏側”
【矢作】GHQの上位組織として極東委員会がありました。アメリカ、中華民国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド、インド、フィリピンの11カ国代表で構成される、連合国つまり戦勝国が日本を占領管理するための最高決定機関です。

極東委員会の第1回会合つまり正式発足は1946年の2月26日なんですが、これがGHQにとっては大問題でした。正式発足されるとGHQつまりアメリカは極東委員会にイニシアチブをとられてしまうわけです。

ソ連やカナダ、オーストラリアといった、天皇の処刑を主張するようなきわめて厳しい考え方の国々が入ってくることによって、占領施策が混乱して収拾がつかなくなるのをアメリカは嫌いました。

そこで、GHQのマッカーサーは、皇室を残す条項、戦争を放棄する条項を用意した。占領政策の要になる日本国憲法のGHQ案を急いで作成し、同年同月の13日に日本側に提示したんですね。

極東委員会は憲法制定がGHQ主導で進んでいくのをよく思っていませんでしたから、マッカーサーとしては手続きはずさんではあるけれども既成事実をつくってしまう必要があったわけです。