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「ナチスの財宝」目当てに、オランダ中部・オメレン村には多くのトレジャーハンターが訪れた(EPA=時事)

〈ナチスの財宝見つからず、捜索終了 オランダ〉──先月(5月3日)、AFP通信が配信した記事のタイトルだ。今年1月に手書きの「宝の地図」が発見・公開されて以降、世界中から一攫千金を狙うトレジャーハンターたちがオランダ中部オメレン村に押し寄せた「ナチスの埋蔵金探し」は、結局から騒ぎに終わった。古今東西、「埋蔵金伝説」に魅せられた人々がお宝探しに没頭する例は後を絶たない。なぜ、人々はこうした伝説に夢中になるのか。歴史作家の島崎晋氏が考察する。

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「ナチスの埋蔵金」といえば、第二次世界大戦の終盤、敗色濃厚となったナチス・ドイツが隠匿したとされる金塊や金目のものの総称。ほぼすべてが強制的に没収または略奪したものからなり、世界的な名画のように上からの命令で隠されたものもあれば、現場の将兵が利己的に隠したものもあったと考えられる。それだけに全体像は捉えがたく、メディアやトレジャーハンターがガセネタに踊らされることも多い。

 直近のオランダの例で言えば、同国の国立公文書館に収蔵され今年1月に「機密指定」が解除された数千件の書類の中から、「手書きの地図」が見つかったことが発端だった。地図とともに保管されていた文書には、オランダのアーネム銀行から略奪した宝石や貴金属、高級時計、金銀貨などを詰め込んだ弾薬箱4箱を埋めたとあり、地図に赤いバツ印の付けられた地点がその隠し場所と考えられた。

 ナチスは1944年、オランダ・アーネムの銀行を爆撃した後に財宝を略奪。連合国軍のマーケット・ガーデン作戦後に財宝を埋めたとされる。その総額は現在の貨幣価値に換算して1100万ユーロ(約16億5000万円)。地図にバツ印で示された場所があるのが、アムステルダムから車で1時間のオランダ中部・オメレン村だった。地図と文書が公開されるや、たちまちトレジャーハンターたちが同村に殺到した。

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オランダの国立公文書館で見つかった「手書きの地図」(Getty Images)

 しかし、5月にAFP通信が伝えた内容によると、捜索は徒労に終わったようだ。同村は、「財宝は確かに埋められていたが、戦後に持ち出された」と結論付けた。が、明確な根拠が示されているわけではなく、真相は不明のままだ。

 少し前にもポーランドで、「ナチスの黄金列車」絡みの埋蔵金騒動があった。「黄金列車」とは、第二次世界大戦末期の1945年、ドイツ軍占領下だったポーランドのブロツラフを出てワウブジフに向かう途中に行く不明になった列車のことで、莫大な金塊が積まれていたとの風聞から、「黄金列車」「財宝列車」などと呼び習わされた。

 件の列車はいったいどこへ消えたのか。CNNやロイター通信が2015年8月に報じた「発見か」のニュースには期待を持たせる内容が記されたが、翌2016年8月には「見つからず」とする記事がAFPから配信されている。

 ポーランドの「黄金列車」探しは、ポーランド人とドイツ人のトレジャーハンター2人による独占だったが、今年のオランダの件は、国立公文書館が地図と文書を公開するや否や、多くのトレジャーハンターが殺到した。

帝国主義時代の発掘競争には「文化支配」の思惑も
 トレジャーハンターが通常狙うのは、お宝満載状態のまま眠り続ける沈没船や海賊が無人島などに隠した埋蔵金、古代文明の栄えた地の地下にある未盗掘の有力者の墓などだ。考古学調査と重なる部分がないわけではないが、歴史的価値よりも金銭的価値に重きを置く点で大きく異なる。

 近現代史に端を発する埋蔵金伝説といえば、崩壊した先述のナチス・ドイツやロマノフ王朝(帝政ロシア)絡みのものが群を抜く存在。「帝国の埋蔵金」ともなれば時価総額が大きいのはもちろん、大変な名誉ともなる。