バブル崩壊以降、最高値をつけた株価、相次ぐ世界の半導体大手の国内進出。コロナ明けで戻ってきた外国人観光客。なんだか明るい兆しが見えている日本経済。

じつはその背景には、日本を過去30年間苦しめてきたポスト冷戦時代から米中新冷戦時代への大転換がある。

いま日本を取り巻く状況は劇的に好転している。この千載一遇のチャンスを生かせるのか。

商社マン、内閣調査室などで経済分析の専門家として50年にわたり活躍、国内外にも知己が多い著者が、ポスト冷戦期から新冷戦時代の大変化と日本復活を示した話題書『新冷戦の勝者になるのは日本』を抜粋してお届けする。

今回は、いまの世界インフレを用意したポスト冷戦時代の金融を振り返る。

1997年のアジア通貨危機
マネーが潤沢にあると投機が発生するのは避けられないようだ。欲に目がくらんだ人間の性というものか。ポスト冷戦は一面では国際金融危機の連鎖の時代と形容できるのかもしれない。

第1はアジア通貨危機だ。1997年のクリスマスにモルガン銀行のジェイ・ヤングが電話をかけてきて、「危ない危ない。本当にデフォルト寸前だったんだが、どうにか切り抜けることができたよ」と教えてくれた。

外貨資金繰りに行き詰まった韓国を救済するためにG7(先進7ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議)が急遽100億ドルの金融支援の前倒しを決定したのである。これがクリスマス声明と言われるものだ。

神話崩壊のショック
1997年のアジア通貨危機は年初の韓国財閥グループの倒産と金融システム不安に始まった。韓国では88年のソウルオリンピック以降、成長志向が旺盛で、国内の貯蓄不足を海外資本の流入でカバーしてきたが、財閥は潰れないという神話が過剰な設備投資ブームの背景にある。

しかし、財閥の一つ韓宝グループの中核企業韓宝鉄鋼が杜撰な資金計画のせいで資金繰りに行き詰まって倒産してしまった。神話崩壊のショックは大きく、連鎖倒産が続き、経済システムが音をたてて崩壊していった。万策尽きて韓国はIMF(国際通貨基金)に支援を要請、IMFの管理下に入った。

このタイミングで私は、韓国経済研究センターの韓国経済調査団のメンバーとして1998年2月に韓国を訪問したが、意外にも現地は意気消沈しているわけでもなく、「韓国は過去50回以上も外敵に侵略されたが、国民が一丸となって難局を乗り切った。今回のIMF時代も同じで、必ず克服できる」という力強い声が各地で聞かれたのは印象的だった。

東南アジアでは1997年7月のタイを皮切りに各国で通貨危機が勃発、やはり多くの国がIMFに支援を要請、管理下に入った。タイのケースを見ると、海外資本を引き寄せるために金利を米国より高めに設定し、為替はドルに固定して為替リスクをなくしたが、これがまずかった。

海外投資家は利鞘を求めて積極的にタイに投資し、過剰に流入した資金が不動産投資に向かってバブルを発生させた。足の早い外国人投資家はさっさと売り抜けていなくなり、タイはバブル崩壊と経常赤字で立ち行かなくなってしまった。

この独立した金融政策、固定為替相場、自由な資本移動は同時に達成することができないので、「不可能な三角形」と呼ばれているが、アジア通貨危機の経験から現在はアジア各国とも金融・資本・為替政策の組み合わせは理に適ったものとなっており、経済ショックが来ても、3つのうちどれか一つのバルブを緩めてあるので、通貨危機再来の可能性は低い。