朝鮮戦争(1950~53年)で北朝鮮の捕虜となり、半世紀にわたる北朝鮮での抑留生活の末、韓国に脱出した韓国軍元兵士の金成泰(キム・ソンテ)さん(90)にアパートの自宅でインタビューしたときのことだ。

インタビューを終え、記者が自身の名前にある「桜」の意味を説明していたところ、金さんは本を取り出し、日本語を勉強中だと話し始めた。小さな本棚には複数の日本語教科書が並び、1937年に刊行された小説「君たちはどう生きるか」の新装版もあった。

日本統治時代の子供のころに国民学校で日本語を学んだこと、日本に行ってみたいと日本語を学び直したことを語り、「日本にも一度旅行に行ってきたんですよ」とうれしそうに話した。栄養失調などで周囲の人が次々亡くなる過酷な北朝鮮生活について証言していたときの苦悶の表情はパッと明るくなった。

10代で兵士になり、すぐに北朝鮮に拘束された金さんにとって国民学校時代は平穏で懐かしい日々と刻まれているのだろう。戦後に反日意識が一層増幅した韓国社会と隔絶され、子供時代の日本語の思い出が色あせることもなかったのかもしれない。

筆舌に尽くしがたい体験を経て自由を手にし、90歳になってなお、言葉を学ぼうとする姿にはただただ頭が下がった。(桜井紀雄)

https://www.sankei.com/article/20230822-ROPJWSEDYROOFA4GFA5VO52VOE/