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関東大震災で虐殺された曽祖父について説明する黄愛盛さん=8日、中国・浙江省温州市

 【温州(中国浙江省)時事】1923年の関東大震災直後の混乱では、在日朝鮮人のほか中国人も暴行の対象となり、700人超が虐殺されたとされる。多くの出身者が犠牲となった浙江省温州市には、26年に建立された慰霊碑が今も残る。遺族は「事実を隠さず歴史に向き合ってほしい」として、真相究明と謝罪を日本政府に訴え続けている。

 ◇怒りより残念

 「鉄の棒で殴り殺されました。38歳でした」。温州市の黄愛盛さん(44)は家系図を示しながら語り始めた。小さい頃、曽祖父の元有(中国名・元友)さんが日本で虐殺されたと村の人から教わった。

 20年代、温州市の山中にある黄山村は貧困にあえぎ、多くの若者が出稼ぎのため日本や欧州に向かった。同市出身者は現在の東京都江東区大島に集まって暮らし、油紙傘などを売っていた。

 黄さんが虐殺の詳しい状況を知ったのは、遺族らの会合に参加した2014年。研究者が調査した虐殺の記録から中国人労働者全体が標的となったことを知り、「次世代に事実を伝えたい」として、日本政府に事実認定や謝罪を求めてきた。

 日本政府は国の関与について「事実関係を把握できる記録が見当たらない」と国会答弁で繰り返している。黄さんは「残虐に殺されたことへの怒りより、事実を認めてくれない残念な気持ちの方が大きい」とため息をつく。「つらい歴史だが、向き合うことで本当の友好がある」と語った。

 ◇100年目の切望

 祖父の可其さんが虐殺されたという周松権さん(58)は、祖母や父から、祖父亡き後の生活の苦労話を聞いて育った。父は祖母と共に物乞いをしていたが、その祖母も亡くなり孤児に。周さんは「物語みたいで実感がなかった」と言うが、父の世代は「怒りが違う」と話す。

 遺族らの活動は近年、新型コロナウイルス禍も重なり、「希望が見えない」と離れる人が相次いだ。だが、100年の節目に当たる今年は、大学生の若者を含む遺族約20人が訪日する。周さんは「事実が認められるまで活動を続け、遺族の強い願いを伝えたい」と意気込んだ。

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