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古市憲寿

 作家の高見順の日記には「どうしても書けぬ。あやまりに文藝春秋社へ行く」という言葉が残されている。原稿の締め切りに間に合わなかったのだ。古今東西、作家は締め切りを破るものらしいが、それで困るのは出版社くらいである。

 だが世界には、より深刻な締め切りが存在する。地球生命の締め切りだ。それは約8億年後のことらしい。少なくともほとんどの多細胞生物が死に絶えてしまうというのだ。

 今まで地球では5度の大量絶滅が起こってきた。地球上に誕生したほとんどの生命が死滅し、文字通り絶滅しかかったことが、5回もあった。ビッグファイブ(五大絶滅)とも呼ばれる。

 その中でも一番有名で、最も新しいのが約6600万年前に起きた大量絶滅だ。通説によれば、巨大隕石が落下し、上空に散らばった粒子が太陽光を遮り、地球の気温が下がった。寒冷化により植物が育たなくなり、食物連鎖が崩れ、多くの生物が絶滅した。その中には恐竜も含まれる。

 隕石衝突以外に、巨大火山の噴火というパターンもある。大規模な噴火が起こると、火山灰などの塵によって日光が遮られ、長期的な寒冷化が起こる。隕石衝突と同じく、植物の生長が滞り、動物は命を落とす。特に2億5千万年前の大量絶滅では、全ての生物種の9割以上が絶滅したといわれている。

 地球上に原始生命が生まれたのは40億年前と考えられているが、生物の多様化が一気に進んだのは5億4千万年前のことに過ぎない。いわゆるカンブリア爆発である。それ以降5回もの大量絶滅が起こってきたのだ。ざっと1億年に1度のペースである。ということは、確率的には6度目の大量絶滅が起きてもおかしくない。人類の環境破壊が大量絶滅を引き起こしているという説もある。

 どちらにせよ、地球が全生命にとって永遠に安息の地であるということはあり得ない。最後の大量絶滅は約8億年後になるという(『第6の大絶滅は起こるのか』築地書館)。

 太陽の光度が増し、地球の二酸化炭素濃度が下がり、植物の光合成も不可能となる。ほとんどの動物も死滅する。極地の気温も40度を超えるが、ごく一部の生物は生き残るかもしれない。だが気温は上昇を続け、二酸化炭素も酸素も減り続ける。やがて最後の動物も死に絶え、ついには細菌だけが残される。

 実は地球上で生命が生きられる期間は、すでに半分以上が過ぎてしまったのだ。40億年の生命史を考えると、8億年というのはどうも心許ない。少なくとも8億年後までに、どこかの星へ移住しないと人類が生き延びることはできない。

 もちろんそれまでに人類が絶滅している可能性の方が高い。ホモ・サピエンスの誕生は数十万年前。地球史と比べると非常に短い。さらに文明となると、1万年にも満たない。8億年どころか、8万年先もどうかはわからない。人類はどこまで締め切りを延ばすことができるのだろうか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2023年9月14日号 掲載

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/09140555/