<日本では、老人に対する人々の視線は決して友好的ではないと感じる。一方、中国は「敬老大国」と言われるが...>

私は紹興酒で有名な浙江省紹興の出身だ。今も多くの親族や幼なじみが紹興に住んでいる。一方、両親と妹一家は北京在住。この夏、4年ぶりに里帰りをした。

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まずは7月、北京に戻った。軍医だった父は87歳で、母は84歳。独立した妹一家はそう遠くない場所に住んでいるが、両親はかつての職場の幹休所(退職幹部向け福利厚生住宅の「幹部休養所」)で2人暮らしをしている。

父は医者だけあって、耳が遠くなった以外は健康だが、母は2年前に転んで足が不自由になり、杖を手放せなくなった。両親はいわゆる「老老介護」状態だ。

帰郷すると両親はとても喜んでくれた。昔話に花が咲き、話題は両親の若かりし頃にも及んだ。

新中国成立間もない1953年からの軍医人生、66~76年の文化大革命、78年に始まった改革開放──中国現代史の荒波を生き抜いてきた世代だ。

それでも2人は常に互いを思いやり支え合ってきた。昔から変わらぬその仲むつまじい姿に、自分の親ながら思わず涙が出る思いだった。いつか家族の歴史を『ワイルド・スワン』のような本にまとめたいと思っている。

一方、8月には親族や友人に会いに紹興へ足を運び、93歳と91歳になる長老とも再会を果たした。父と母の姉、つまり私の伯母たちである。

うれしいことに2人とも元気だったが、気になったのは息子や娘ら家族が近くにいるのに誰も面倒を見ていないことだ。

孫が生まれたばかりの時は息子夫婦と同居し、働く息子たちに代わり、孫の面倒を見ていた伯母たち。それが昔ながらの習わしで、苦労しながらも「天倫之楽」(家族だんらんの楽しみ)を味わっていた。

ところが、一人っ子政策で生まれた孫は成人して結婚。やがてひ孫が生まれ、息子夫婦はその世話に追われるようになる。ひ孫が成長した頃には長年連れ添った伴侶も亡くなり、今では古い家にそれぞれ一人で生活している。

周囲の人々は、祖父母の面倒は見ても、曽祖母の介護をする余裕も気持ちもない。長生きは用なしだと思われる時代になってしまった。すっかり発展した紹興にもこうした孤独な老人が少なくないと聞く。

中国では老人を敬う伝統が根付いており、親孝行が美徳とされてきた。日本では電車やバスで高齢者に席を譲らない人が少なくないが、中国ではそんなことはまずあり得ない──そうした話を耳にしたことがある読者もいるだろう。

しかしそんな「敬老大国」も、今や65歳以上が人口の約15%を占める高齢社会に。日本の29%に比べればまだましだが、現役世代に介護の負担が重くのしかかる。

農村部では、子供が都会に働きに出てしまうことが多いため、残された親が面倒を見てくれる人もなく寂しく年老いていく。

さらには急速な経済成長により伝統的な価値観も揺らいでおり、老後の面倒を子供が見るという発想そのものがなくなりつつある。

世界屈指の高齢社会である日本では、老人に対する人々の視線は決して友好的ではない。

私は常々、日本では高齢者がまるで社会のお荷物、厄介者のように扱われていると感じていた。高齢者を腫れ物のように扱ったり、あたかも存在していないかのように振る舞ったりする姿を目にすることが多いからだ。

しかし今回帰郷してみると、そんな日本の悪しき現象が中国でも至る所でそっくりそのまま再現されていた。

医療や生活水準の向上に伴い、高齢者はますます増加していく。このままでは社会全体で分断が進み、将来的には国全体がそのツケを払うことになるだろう。

高齢社会の先輩として、日本にはぜひとも高齢者とそれを支える人々が互いにいたわり尊重し合える社会の仕組みをつくり、高齢化が加速する中国の手本となってもらいたい。

周 来友
ZHOU LAIYOU
1963年中国浙江省生まれ。87年に来日し、日本で大学院修了。通訳・翻訳の派遣会社を経営する傍ら、ジャーナリスト、タレント、YouTuber(番組名「周来友の人生相談バカ一代」)としても活動。

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