わずか10歳で凄絶な最期 マリー・アントワネット息子の末路とは?

8歳のルイ=シャルルは「良き市民」になるために、母と父を罵る内容の革命歌を歌わされ
マリー・アントワネットを処刑にもちこむために、『母に近親相姦された』とむりやり証言させられた。
「この"再教育"は、ルイ=シャルルの精神から貴族的な性質を取り除くためだった。
ルイ=シャルルは王子にも関わらず革命党員の服を着せられ、食事の給仕や靴を運ばせるなどの奴隷のような雑用もさせられた。
暴力は日常茶飯事となり、番兵たちも虐待を見るのを嫌がったほどだというパリ・コミューン総会議事録の記載も残されている。

そのうえ、たった8歳であったシャルルに強制的に飲酒させ公衆の面前で自慰をさせることで徹底的に王族としての尊厳を貶めた。
この段階では、ルイ=シャルルの外出は禁止され、人との接触を奪われ、服は一切洗濯してもらえず、
部屋の掃除もせず、便器は置かれなかったので排泄物だらけだったという説がある。暗く孤独な独房生活の中、虐待され尽くしでシャルルは衰弱死した。

最期の記録によれば、「肌は灰色がかり、頬はこけ、目はぎょろりとしていた。体中に青・黒・黄色のみみず腫れができていて、蛆がわき、爪も異常に伸びていた」とされている。


ルイ17世は生前に、独房に墨で書かれた「ママ、僕は…(Maman je)」という書きかけの言葉と花の絵を残し、
塔の屋上に散歩に出た際に見つけた花を摘み取り、花好きの母のためにと、既に住人がいないことを知らぬルイ17世が処刑された母の部屋の前にそっと置いたというエピソードが残されている。