親子の好きな箇所について足ィバカにかりながら考えていたんですが
考えるほどに作品が異様なつくりになっていることを直視し、おそろしくなるよ…

体育祭編の構成、本当に心の底から美しくて大好きなんですよね

個性とはお伽噺に語られる都合のいい特殊能力や魔法などではなく、あくまで個人に備わった「体質」に過ぎない
それを説明するために登場したキーパーソンが
遺伝子とは?どこまでが個人と呼べるのか?そう問いかけるお互いを同一視した親子のキャラクターなんですよね

空想科学…読本?で氷属性の能力者は数あれど氷の「熱を奪う」側面に着目した作品は初めてではないか、
といった風に称賛されていたのが印象深かった
本当に…良いですよね 轟親子が生まれるにあたり構築されたキャラクターコンセプト…
「熱を奪う」為に産み出された遺伝子、完成品の人間という狂気…

母が自分に父の姿を見いだし恐怖を向けられたトラウマから父の罪=自分の罪と刷り込まれた、この認識から逃げられず
自分の自他境界がおぞましき父と同化させられてしまうその暴力に抗うため
そして父を否定し母への贖罪を果たすために、父からの遺伝を封印し氷の檻の中で1人生きてきた轟焦凍少年→
体を蝕む氷を炎で溶かし
彼自身の心が「母への罪悪感」という氷の檻から解き放たれる
氷解のダブルミーニング
緑谷から道を示されたことで「望まれなくても助けだす」と母にも同じ救済が可能になり
息子と同様に1人檻の中で生きていた母の氷を融かす救いの連鎖
体育祭編は構成の全てが美しい…

体育祭編の美しい構図を産み出した人が犯すんだろうか、といったミスが
ンデヴァーのキャラ構築時に発生しているのがずっと不思議でならない…

登場時のエンデヴァーはあくまでただの障壁役・サブキャラ
そこからメインキャラに昇華する、読者の理解内に収まる存在になるなら「禊」が必要不可欠だったんですよ
何故ならば罪の無自覚さこそが彼のアイデンティティであり
「意識が変化する過程」は読者にとって理解できる存在に転じるチャンスだった

しかし轟炎司の心の変化という最も重要なシーンを先生は描かなかった
「罪悪感を全く覚えてなかった筈の男が知らない内に改心している」
彼が本当の所何を考えている人なのか読者にとってわからない状態を作った
(禊である脳無戦の後も??に対し猜疑心を抱き続けていた非オタク層の意見を実際見かけた)