> 味方でいる=子供の意見全てを否定するな、と歪に出力するから読者に反感を覚えられているのではないのですか?

ヒロアカにそんな話あったか…?


↓モチ婆まとめ2

「親は例えどんなことがあっても子供の意見に対し味方でなくてはならない」
ヒロアカでは反例としてデクママやエンデヴァーを出してくる辺り、堀越先生にとっての信念が″これ″なのは伝わってくるんですが……それが荼毘まわりだと本当に悪い方向に働いてますよね…

「父親は常に子供の味方であるべき、その義務がある」主張自体は理解できるんですが…
味方でいる=子供の意見全てを否定するな、と歪に出力するから読者に反感を覚えられているのではないのですか?
何も思いやらずに全肯定/同調するだけが保護者の愛情ではないことを堀越先生は理解しているのだろうか

この「息子を思いやる気持ちがあるからこそ、自分の意見を全否定してくる父親の善意」をたくさん味わってきた諫山先生は″苦しみの感情″と″苦手な父との和解を模索する呻き声″を作品内にすごくうまく昇華してたよね
進撃はとことん内面を吐露した自伝だって言われてるの、そういう…

家族は″なにが″あっても″絶対″にお互いを思い合わなければならないみてえな押しつけ、イエという呪いや血統主義思想嫌い血以外で巡りあい培った人々との縁大好き思想の尾田っちが渋い顔しそうなやつ(偏見に偏見を…)

生産者側には命を産みおとしたならば果たさなければならない責任がある、のはそうなんですが……

堀越先生の精神の断片を物語る自伝でもあるのかなあと考えてしまった
堀越耕平にとっての「愛」と「肯定」は絶対的にイコライズされているのかと

「頑張れって感じの″ヤミクモ″だ!」という意味の通った台詞を後から″デク″に変更する際ひ帳尻合わせすらできなかったんだから堀ピッピそこまで考えてないよと言われたらまあそうかもしれねぇ!!!になるあたりが厄介なんスけど