引退ではなく新たな一歩のスタートへ。羽生結弦という存在が見せた葛藤と決意とは 7/29(金) 6:50配信 VICTORY
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 「僕にとって、羽生結弦という存在は常に重荷です。いつもいつも重たいなって思いながら過ごしています」。プロスケーターへの転向を表明した今月19日の記者会見で、フィギュアスケート男子の羽生結弦(27)は偽らざる本音を漏らした。

 幼少期からぜんそくの持病に苦しめられ、出身地の仙台で東日本大震災に被災。避難所生活を経験しながら世界の頂点に挑み続ける姿は、いつしか被災地の希望としての宿命を背負うようになった。結果を残せば残すほど、加熱する報道や誹謗中傷に時として心を痛めた。それでも10年近く世界のトップとしてリンクに立ち続けたのは「羽生結弦という存在に恥じないように生きたい」との信念。会見終盤には「これからも羽生結弦として生きていきたい」と力強く語り、新たな挑戦への一歩を踏み出した。

 「(震災直後は)スケートを本当にやめようと思った。ぎりぎりの状態でたくさんの方に支えられて、ここにいる。皆さんの思いを背負って表彰台に立てた」。2014年ソチ冬季五輪。19歳で日本男子初の金メダルを獲得した吉報は、被災地だけでなく、日本全体に勇気と感動を与えた。細部まで突き詰めた技術だけでなく、抜群の華やかさも備え、アスリートを対象とした民間会社の好感度調査ではでは常に上位に名を連ね、人気は高まるばかり。中国や韓国にも熱狂的なファンを広げ、国内だけでなく、海外の試合にもファンが押し寄せ、行く先々の空港やリンクで出待ちする光景は恒例となっていた。