その一方、ここ数年ますます影響力を強めているのが「ファンダム」の存在である。 熱狂的なファン集団やその文化を指すファンダム。
そのエネルギーは音楽産業に光をもたらす反面、意図的にチャートを操作しようとする動きが散見されるなど、シーンに影も落としている。

ある時期から特定のアーティストをチャート入りさせることを目的に、ファンダムが意識的に楽曲名とアーティスト名をツイートする流れが大きくなった。
Twitterで楽曲名を検索すると、ノイズやスパムとしか感じられない投稿も散見されているのが現状だ。
キャンペーンを実施した期間だけ短期的に再生数が伸びたとしても、他のダウンロードやCDの売上に影響するには至らないケースも多い。 それは果たして、ヒットに繋げるための正しいアプローチと言えるのだろうか。
「アーティストの夢を叶えようとするファンダムの熱量は大切にしたい部分もあるのですが、それが行き過ぎてしまうと、『再生する』ことが目的となってしまいます。
それは新たなファンの流入を阻害することに繋がりかねないですし、音楽を聴いているとは言えないのではないでしょうか」

「ファンダムの人たちが、あの手この手でチャートをハックしようとしていることは知っています。
逆に聞きたいんですが、それって楽しいですか? アーティスト側はあくまで『一緒に楽曲やライブを楽しんでほしい』と思っているはずなんです。
それがいつの間にか、ファン活動がアーティストに奉仕するという『労働』に形を変え、“推し疲れ”という言葉さえ生んでてしまっている。
『今後、ファンダムはどうあるべきか』というのは、アーティストやレコード会社、そしてファンダムを構成するファンの人たちにも問われていることだと思います」

好きなアーティストを外へと広げたい、有名にしたいと願うファンダムの活動が、かえってファンダムの外側との壁を厚くしてしまっている側面もある。
ファンダム内部の熱量が強ければ強いほど、外側の人間からは狂信的に映り、それがアーティストや楽曲そのものの純粋な評価を歪めてしまいかねないから。