👑🦍❤ の真実を探るスレ
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彼の真実を知りたいヲタ専用
漏洩ネタ可
ナイーブすぎる🦍ヲタ様はお引取りください
名前は出さず🦍でお願いします
うっかり名前を出してしまったら即訂正しましょう
しない場合は客認定されても文句は言えません 去年5/23の赤西のツイッターが匂わせ
タッキーはずっと会ってなかったとあるんだから違うし 最悪ってなるのは過去に何かしらの問題起こしてないとなかなかない
となると赤西はピッタリ ほかのタレントがそんなならその事務所には行かないでしょツアーが出来ないかもとか言ってるのになんでこれ信じてるの >>18
100パー信じてないよ
あくまでも一つの可能性の話 Go Good Records
赤西の事務所
錦戸は赤西とのユニットはそっから出してる >>20
規定事実みたいに語る人はかなり矛盾してることに関しては無視よね 夢を失ったって言ってた🦍だからまだ夢探し中なのかもね 残る2人のアリツアが嘘臭すぎて数字も飛ぶんだろうなと思ってる >>27
アンチってなんで平野が活動する事に水を差す事言うよねそんなに脅威?ソロコンの話とか面白くないでしょ 他に数字が箱に返信してた内容
・退所後すぐ会える(誰にかは伏せてた)
・新しい事務所本当に私は求めてないし最悪
・そんな大手じゃないと思う
・一部の人にしか分からない事務所名
自分は所属タレの名前で分かった
・サンミュージックとは違うところだけど
俳優としてこれから見る機会はなさそう 最悪なんて言われるの赤西と手越くらいしか思いつかないw 所属タレって時点で個人事務所=社長の人は消えるのかな 今すごい人と素晴らしい事に取り組んでいるの。
May 23 2022
赤西 仁
#未来予想図 たまたまにしては匂うね
でも一年前からの計画なら雑誌でのいろんな発言がハテナになるが 時系列を信じるなら6月から話し合いだから並行して仁と打ち合わせはありえる 赤西って一応全米デビューしてるしそれなりに人脈はあるよね
なんならTOBEとも提携ありえるし 山Pと絶縁の噂はある
タッキーが仲直りさせてたらわからんが いわちで最悪って思うかな
山P赤西錦戸手越ら辺だとウワッてなってもおかしくない 俳優やらなそうってところでまず錦戸山Pは除外
いわちか赤西の二択が濃厚 >>44
これ確定では
そんな偶然に5月23日つぶやく? >>60
そこ大事?
ジャニーズ事務所にいた人だから友達って判断しただけかもよ 1966年にジャニーズ事務所の第1号グループ「ジャニーズ」がロサンゼルスで録音し、お蔵入りとなった「ネバー・マイ・ラブ(邦題:かなわぬ恋)」。翌年に6人組グループ「アソシエーション」が歌うと全米ヒットチャートを急上昇。「ビルボード」で2位、「キャッシュボックス」では1位になった。連載「ジャニー列伝」第2回で紹介されたエピソードだ。
そのお蔵入りした音源を、ジャニー喜多川社長は大切に保管していた。ある取材の時、担当記者に聴かせてくれた。歌声は伸びやかで、特訓を積んだという英語の発音も完璧。西海岸の一流ミュージシャンを集めた演奏がカッチリとはまり、アソシエーション版に引けをとらない出来だった。
「今でももったいないと思っている。アメリカで1位をとることは不可能じゃない。カメラも自動車もアメリカに勝って1位になった。なんで芸能界だけが1位になれないの? 日本の力はあるんです」。いつもの柔和な表情だが、口調には強い力がみなぎっていた。
だがジャニーズの挑戦と高い音楽的クオリティーは、当時の日本では評価されなかった。むしろ非難された。67年1月、羽田空港で帰国会見を開き、自信満々で録音した3曲を流したが…。「『平凡』の記者が『ジャニー、やばいよ。おれたちはテープを聴きに来たんじゃない』って。メディアは怒って帰ってしまいました」
苦い経験 でも手応えは確かだった。70年代にフォーリーブス、80年代には少年隊が米国進出を試みたが、ジャニーズの時ほど「頂点まであと一歩」を実感したことはなかったという。
ジャニーズは再渡米を望んでいたが、日本での芸能活動が多忙となり流れた。そして自分たちの曲だった「ネバー・マイ・ラブ」がアソシエーションによって全米1位になったことを知る。つかみかけた夢は、運命のいたずらで手からすべり落ちた。「アメリカで精いっぱいやった。これ以上のことはできない。あきらめちゃったわけです。ジャニーズには『解散したら?』って、平気で言ったもん」。失意の中で、ジャニーさんは新たな目標を抱いたという。「やるなら日本でがっちりやっていこう。アメリカに負けないようなミュージカルをやろう、と思ったんです」
その言葉通り、斬新なアイデアと演出を詰め込んだ舞台を次々に手掛けた。音楽でもヒットチャートを独走し「王国」と呼ばれるまでになった。それでも、一度ついた火は消えることなく、胸の奥でくすぶり続けていたのだと思う 2010年、小さな種火が炎となる。KAT-TUNを脱退した赤西仁が、ソロで全米デビューすることが決まった。しかも何の因果か、ジャニーズが米国でかかわったワーナーから。
12月に都内で大々的な会見が開かれた後、ジャニーさんは担当記者の取材に応じた。「ぜひワーナーさんにお願いしたい。昔の夢を実現するという…いや、あれは夢ではなかった。もともとジャニーズのものだった曲が、いきなり1位になったんだから」。口調はどんどん熱を帯びていく。「日本人っぽい英語の発音ではよくない。どうしても『日本語的』な曲になる。まず100%、いや150%、アメリカ人が聴いて『日本人じゃない』と思うくらいじゃないと。まず英語の曲をバチッと出す。そうしないとワーナーで出す意味はないから」
赤西は独学で英語を話せるようになっていた。それがジャニーさんを喜ばせた。「英語が話せないとダメなんです。彼もマスターしてきた。みんなそういうふうにやってほしい」。63年に全米1位となった坂本九さんの「スキヤキ(上を向いて歩こう)」とは違う、英語詩での勝負。ジャニーズの時と同じだ。
しかし2011年にリリースされた赤西の全米デビューシングルは、マイナーなiTunesダンスチャートで1位になったものの、ビルボードでは圏外に終わった。その後の作品も同様だった。
舞台「ジャニーズ伝説」が初日を迎える直前、こう語った。「『ジャニーズ伝説』は、僕が死んでからも続くでしょう」。ジャニーさんは、夢の行く先を見届けられないことを覚悟していた。そして米国挑戦の歴史を作品として残すことで、かなわぬ夢を“子どもたち”に託したのではないだろうか。
「夢はかなう、実現するものだっていうことです。絶対に夢物語で終わらせずに、やらなきゃいけない」。赤西の全米デビューに際して、ジャニーさんが語った言葉だ。少年時代にエンターテインメントの魅力を知った原点の地、米国でトップに立つこと。将来、ジャニーズ事務所から「全米1位」のヒット曲が誕生したとき、ジャニーさんの夢は完結するのかもしれない。 タッキーも先代にしてもらったこと(エロいことじゃないよ)を若い子にしてあげたいって言ってる 他に思いつかないよ
いわちじゃ最悪って言われるほどのイメージない >>77
先輩って表現したら狭まるしあえて友達と表現したのはありえるよ 歳の離れたおじさんが友達なんだから山Pやタッキーが友達ポジションにいてもおかしくないよ >>51
芸能事務所に詳しくないと言いながら具体的だったりソロコンの情報の入手経路がすっきりしてない リエハタさん所属してる事務所STARBASEじゃない?
小さい音楽事務所で有名なタレントはYOSHI一人だけ >>94
数字も平野の公表してない友達なんて知らないよね 悪口さんの結婚関連のスクショを持ってる人いますか?どんなふうに回答したかしりたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています