>>614-616
内地には今でも義太夫を語る文楽の若い学芸員はいるし、浄瑠璃教室もあるが、
文楽家系でもない若者で自分から進んで義太夫を習うものなんてまずいない、
義太夫習うのは年配者ばかり、という状態だ。

【宮沢和志の『島唄』前】の沖縄も三線習う者はいるが、浄瑠璃のように
年配者ばかりだったのだが、【宮本和志の『島唄』後】は若者がダンスや
ギターを習いに来るように三線を習いに来るようになった、、という事だろ。

三線を習いに来ていた異常に可愛い美少女の顔や、70歳ぐらいのお師匠さんの
顏もはっきり覚えているよ。


>笑福亭鶴瓶の『家族に乾杯』で鶴瓶が沖縄を廻って、民家の三線教室を尋ねたら
>中学生の可愛い女の子が習っていて「こんな若い子が習ろうてますの?」と
>鶴瓶が師匠に聞いたら「ブームの宮沢さん以降です。それまでは習うのは
>年寄りばかりでした。宮沢さんが沖縄の若者に三線の素晴らしさを教えて
>くれました」と三線の師匠が言っていたよ。