渡野喜屋 事件
とのきや じけん
太平洋戦争(大東亜戦争)中
1945年5月12日
沖縄県大宜味村塩屋の渡野喜屋集落で起きた帝国日本軍による沖縄民間人殺害事件。

事件当時、沖縄戦の戦闘継続中
大宜味村 塩屋 渡野喜屋はアメリカ軍の占領下となっていた。
付近の沖縄民間人は、アメリカ軍によって難民として管理されていた。

5月12日夜、帝国日本軍の曹長の指揮する日本兵10人が渡野喜屋の村落に現れ、浜辺に民間人を集めたうえ手榴弾などで殺害した。
アメリカ軍の記録によると婦女子を中心に35人が死亡し、15人が負傷した。
死傷者には読谷山村、浦添村、那覇市などの住民が含まれていた。
その後、日本兵は、村落の指導者数人を連れて去った。
https://yomitan-sonsi.jp/sonsi/vol05b/chap04/content/docu067.html
この事件について、帝国日本軍独立混成第44旅団第2歩兵隊(宇土部隊)の元通信兵の一人が、
敗戦後の記録で事件に関与したことを証言している。