戦前は沖縄にも軽便鉄道があったが戦争が始まる前に大爆発事故でなくなった、兵隊約200人住民数名が命を失った、周辺も火災
と爆破で家を失った、以前から走行中沿道の火災の原因にもなってた。この事故はかん口令が敷かれてた、対馬丸事件も真っ先に
日本兵が逃げ護衛の船も素早く逃げ多くの日本兵が助かった、児童は奄美に流れ住民に助けられた、これもかん口令が敷かれた