「薩摩藩が豊後で捕虜にした人々は、肥後の国に連行されて売却された。彼らはまるで家畜のように、島原半島に連れ
て行って売り渡された」
九州の戦争奴隷は女性や少年・少女らを中心に「異常なばかりの残虐行為」を受け、その後にポルトガル商人に二束三文で
売却され、マラッカやマカオを経て東南アジアからインドにまで連れて行かれた。もっとも遠隔地に売られた記録として、
アルゼンチン内陸のコルドバに日本人奴隷取引証書が残っている。
手足に鉄鎖をつけられ、選定に押し込められた「地獄の呵責」にまさる状況で、航海の途中で死ぬ者も多かった。