(インタビュー)大元帥たる昭和天皇 歴史学者・吉田裕さん


 「45年2月に元首相の近衛文麿が戦争の終結を上奏したときに、天皇は『もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしい』と答えています。
その時点でも、まだ戦果を挙げられると信じていたんですね。
米軍に打撃を与えて、できるだけ有利な条件で講和に持ち込むという『一撃講和論』をずっと支持していました。
そのために戦争終結がずるずると遅れてしまった面はあると思います」

 「沖縄戦でも、当初は、特攻作戦がうまくいっていると誤認していたようです。
天皇が戦争をあきらめるのは45年5月ごろです。
ドイツの降伏と、沖縄がもう持ちこたえられないとわかって、ようやく終戦を決意したのです」



 ――天皇が作戦方針の決定にも関わっていたわけですか。

 「歴史学者の山田朗さんが、どの作戦の際に天皇がどんな発言をして、どう影響を及ぼしたかを詳しく研究していますが、かなり主体的に関わっています。
天皇が発する最高の統帥命令を、陸軍は『大陸命』、海軍は『大海令』といいますが、戦後の占領期、大陸命や大海令の存在は占領軍に秘匿されました。
隠さなければいけなかったという事実が、天皇が作戦に関与していたことを証明しています」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14130352.html